折口信夫『死者の書』(五〜八)

不思議な過去との因縁(下図)が老婆によって語られ

 

神代  =50年前=物語の現在

天若日子=滋賀津彦=御霊

(?)=耳面刀耳(藤原家一の媛)=藤原南家郎女

 

場面は再び、滋賀津彦の墓所の中へと移る。

 

五)丑刻(午前2時)から卯刻(晨朝:午前6時)

 

岩屋の中。御霊が、自分の名は、滋賀津彦だと思い出す。

 

妻は自分の後を追って殉死し、一人息子の粟津子も、どこかへ連れて行かれ、生きてはいないだろう。

 

(丑刻、外の世界では草木や人が動き出す)

 

御霊は、子代も名代もないことを嘆き、誰の記憶にも自分の名が残らないのは、承知できないと憤る。そして、耳面刀自にこう呼びかける。

 

耳面刀自。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を(のこ)して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。(本文より)

 

万蔵法院で晨朝(午前6時)の鐘が鳴る。庵の中の娘は、身じろぎもせずにいる。老婆はうずくまっている。どこからか吹き込んだ風が、灯火をふ、と消す。

 

ただ一刻ばかり前、這入りの戸を揺った物音があった。一度 二度 三度。更に数度。音は次第に激しくなって行った。(とぼそ)がまるで、おしちぎられでもするかと思うほど、音に力のこもって来た時、ちょうど、鶏が鳴いた。其きりぴったり、戸にあたる者もなくなった。(本文より)

 

※この場面はとても怖い。子供の頃にやった「あーぶくたったー にえたったー」の遊びの、ゾクゾクする怖さが、蘇ってきた。歌の終わりは、「おふとんしいて、ねーましょ」と、輪になってみんなしゃがみ、手を頬に添えて寝るまねをする。すると、輪の真ん中でずっとしゃがんでいる鬼役の子が、こう言うのだ。

 

鬼「とん とん とん...」

周り「何の音?」

鬼「風の音」

周り「あーよかった」

鬼「とん とん とん...」

周り「何の音?」

鬼「洗濯機の音(など、適当に答える)」

周り「あーよかった」

 

しかし、何度目かの後、こう鬼が答えると大変である。

 

鬼「おばけの音」

 

キャーと一斉に周りは逃げて、鬼は捕まえに走る。捕まった子が今度は鬼になる。

 

 

六)なぜここに来たか(郎女の去年来の物語)

 

仲春(3月)の、雨あがりの朝。

昨日暮れ方から、郎女は誰にも言わず奈良の家を出て、唯一人で、万蔵法院まで徒歩できた。伽藍をめぐり、塔に登り(結界破り)、気持ちのいい景色を広々と見渡している。彼女は祖先の生まれ育った平野を特別な思いで眺め、そして胸をときめかせて二上山を仰いだ。

 

郎女は何故ここにきたのか。事の起こりは、去年に遡る。

 

郎女の父、横佩大将が、新訳阿弥陀経1巻、称讃浄土仏摂受経を彼女に贈ったのがその発端である。それは太宰府で手に入った、まだ大和国の大寺にもない、珍しい本だった。郎女は早速これを手写し始めた。夜が更けても油火の下で黙々と机に向かい、あっという間に100部写し終えた。郎女は1000部を写す請願を立てた。冬から春、やがて夏になり、500部が過ぎる頃から目立ってやつれてきたが、800部を超える頃には健康も落ち着いた様だった。ところが、900部を超えるあたりから筆が遅々と進まなくなる。

 

ちょうど去年の春分の日のこと。郎女は西に向かって正座し、入り日を見ていた。その時、

 

西空の棚雲の紫に輝く上で、落日はかにき出した。その速さ。雲は炎になった。日は黄金丸(まるかぜ)になって、その音も聞えるか、と思うほど鋭く廻った。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、じっと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲はれた。夕闇の上に、目を疑うほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、ありありと荘厳な人の俤(おもかげ)が、瞬間れて消えた。(本文より)

 

それから半年後、秋分の日に彼女はもう一度、あの荘厳な俤を見る。

 

その次の春、南家郎女が宮に召されるという、めでたい噂が流れた。まわりの者皆が浮き立つ中で、郎女は一月も前から別のことに胸を高鳴らせていた。

 

春分の日、その日はのどかで温かかった。999部を完成させた彼女は、1000部目の手写しにかかっていた。最後の一文字を書き終えて、ホッと息をついて外を見ると、いつの間にか、空が暗くなり、雨がポツポツ降り出していた。雨足は次第に強くなっていく。

 

姫は、立ってもても居られぬ、焦躁えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。
茫然
として、姫はすわって居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加って来た風の響きも、もう、姫は聞かなかった。(本文より)

 

七)行方不明(南家、万蔵法院、それぞれの騒ぎ)

 

郎女が居なくなったことに、家人が気づいたのは、翌朝だった。家中が騒然となり、総出で洛中、洛外、沼、池、雑木林、山とくまなく探したが、見つからない。

 

ところで郎女は、雨風が止んだ中、半月の月明かりを頼りに、ひたすら二上山の方角を目指して歩き続けた。夜が明け、目の前に万蔵院の朱塗りの門が鮮やかに現れた。中へ入り、塔に上がり、ただ山を見ていた。それを、起きてきた寺奴に見つかり騒ぎになる。

 

「出てきなさい。そこは男でも這入る所ではない」と叱られ、おずおずと出てきた郎女の周りには、後から後から僧が集まってくる。どうしてまた一人で?お家は?と口々に尋ねられて「右京藤原南家…」と郎女が答えると、一同どよめく。

 

その頃、南家では、姫は野遊びに出かけたのではあるまいか、との憶測がされる。そう思うことで、少し安堵の気配が家の中に漂うが、日が傾いてくると、再び皆の気持ちは重くなる。

 

八)時流

 

大伴家持は、石垣の家づくりから、日々の習わしまで、自分が昔風を好む気質のために、時代に遅れてしまっていることに、苛立っている。現に藤原という家柄でありながら、自分と性質の似ている南家の横佩右大臣は、三年前に太宰員外帥に左遷され都を離れ、今は難波で謹慎している。同様のことが、家持には我が身にもまた起こるように思えてならない。

 

世の中が政争にピリピリする中での大仏の開眼は、しばしいざこざを鎮め、人々の心を浮き立たせる効果をもたらした。伽藍に安置された多聞天は大師藤原恵美中卿広目天は義淵僧正の弟子の道鏡法師に似ている、いや前太宰少弐藤原広嗣―の殿に生写しだなどと、世間の人々は勝手に噂していた。こうした噂に人々が飽きてきた頃、その噂の主である大師恵美朝臣の姪、横佩家の郎女が神隠しにあったという事件は、大旋風を巻き起こした。