折口信夫『死者の書』(一〜四)

一) 御霊の目覚め

 

暗闇の中で死者(大津皇子滋賀津彦):天武天皇の第3皇子)の御霊が目覚め、耳面刀自を想う。御霊は、自分が一体誰でどこにいるかわからない。やがて、伊勢の斎宮である姉(大来皇女:おおくのひめみこ)が(死んだ)自分を呼び活けに来た時のこと、自分は殺され、ここ二上山の上に埋葬されたことを思い出す。

 

"おっかさま。著物がなくなった。すっぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這いずり廻っているのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばたばたやっているおれの、見える奴が居ぬのか。

そのき声のとおり、彼の人の骸は、まるでだだをこねる赤子のように、足もあががに、身あがきをば、くり返して居る。明りのささなかった墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透けてきて、物のたたずまいを、幾分ろに、見わけることが出来るようになって来た。(本文より)"

 

この辺の描写は、「暗黒舞踏」をなぜか連想させます。闇に白く浮かび上がる神がかりのような踊り。

 

二)白装束の9人

 

月が静に照らす二上山の当麻路を、白装束の9人が「こう こう こう」と声をあげながら降っている。彼らは、その辺りにさ迷い出ている藤原南家郎女の御魂に、身体へ戻るよう呼びかけている。魂ごいの行を終えた9人は、塚(滋賀津彦の墓地)の傍らで休む。その内の長老が、塚の由緒を語り出す。

 

この塚は、謀反の罪で死んだ滋賀津彦を、(やはり天に弓引き謀反の嫌疑で殺された古事記天若日子の伝説になぞらえて)難波から大和へ向かう当麻路のこの地に埋め、わるい猛び心を持ったものを都へ通さぬよう、守り塞ぐ目的で造られた。五十年前、この老人は塚の作業に携わった。

 

聞いていた別の一人も「一緒に作業をしていた石担ぎに、墓の御霊がとりついた時は畏かったよ」と話す。

 

気のおける場所なので、長老の呼びかけて9人は再び、魂呼ばいの行をする。

「こう こう こう」

すると墓から

「おお...」

と返事が聞こえた。9人は蜘蛛の子を散らすように逃げ去る。

「おおう...」

という声ばかりが谷に響く。

 

藤原南家郎女... 『神の嫁』の主人公、横佩大納言家の姉姫と同じ人物。

 

三)結界を超えて来た娘(藤原南家郎女)

 

万蔵法院の小庵に、娘(藤原南家郎女)が眠ることを忘れたように座っている。横佩家の娘である。寺では、急ぎ横佩家へ使いを送る。女人結界を超える禁忌を犯した娘は、その贖いをする間、ここに留め置かれることになった。

 

娘のそばには、当麻村の語り部である老婆がついており、止めどなく藤原家の系譜を喋り出している。そのうち、老婆の語りは、神がかってくる。

 

四)老婆の語り(滋賀津彦の執心と天若日子

 

老婆は、耳面刀自(藤原処女)を慕う長歌を吟詠する。この歌は、滋賀津彦の墓を造っていた石担ぎに、墓の御霊がとりついて、歌ったものという。

 

五十年昔、天子に弓引いた罪で、池上の草の上でこれから死のうとする滋賀津彦の近くに、彼の命をおしみ一目だけでもと、耳面刀耳がこらえきれずに駆けつけた。その時、彼女の美しい姿が、彼の目にちらりととまった。この最期の一目が、この世に名残りを惜しむ執心となり、この執心が御霊となった。時を経て、藤原家の流れを汲む最も美しいあなた藤原南家郎女)、まだ婿取りをしていないあなたは、その幽界の目には耳面刀自と映るのだ。滋賀津彦の御霊の力に引き寄せられて、あなたはここに来た、と老婆は語る。

 

私をここに導かれた御仏のような相好の、輝くような美しいお方が、昔のその罪人とは思われません、と娘は言う。

 

老婆は、あなたが見たのは神代の時の天若日彦という神だ、代々藤原家の一の媛に祟るこの神の顔は清らかで、滋賀津彦もこの「天若みこ」が姿をとった一人だ、と説明し終えると口をつぐむ。