カラオケ行こ!

先日、友人と会った際、彼女が読んでいる心理学関連の雑誌に映画『カラオケ行こ!』がお勧めされていたと教えてくれたので、見たいなと思っていました。

 

Netflixに上がったので早速見てみたら、、すごく良かった。

 

これは、男同士の純愛??

夏目漱石「こころ」の先生と私、みたいな)

美少年(斉藤潤)と美青年(綾野剛)にちょっとドキドキし、

思いがけないラストに、カタルシスも味わえて

スッキリ晴れた気持ちになりました。

 

綾野剛演じる成田狂児に、関西の男性の色気がよく出ていて、個人的に刺さりました。私は四国出身ですが、母が京都の出で、叔父たちが京都に住んでいた。若い頃は、関西弁独特のあの力の抜けた間のとり方に馴染みがなくて、なんとなく好きにはなれなかったのですが、あれは魅力だったんだ、と気がつきました。

 

X JAPANの『紅』という曲を、こんなに繰り返し聴くのも初めてで、、

毎回の成田の血管を切りそうな熱唱に、心臓から迸る血が連想されて、夏目漱石『こころ』の一節が浮かびました。

 

あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼(せま)った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕(つら)まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜(すす)ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。

夏目漱石『こころ』155頁 集英社文庫

 

読み返すと、ものすごいことを先生が告白してます。海外では『こころ』は同性愛小説だと認識されているらしい。

 

最近読んだ折口信夫の『口ぶえ』という作品は、少年の少年への恋が描かれていますが、主人公 安良も、想いを寄せる渥美から、鬼気迫る次のような言葉を投げかけられています。

 

「みんな大人の人が死なれん死なれんいいますけれど、

わては死ぬくらいなことはなんでもないこっちゃ思います。

死ぬことはどうもないけど、一人でええ、だれぞ知っててくれて、

いつまでも可愛相やおもててくれとる人が一人でもあったら、

今でもその人の前で死ぬ思いますがな、

そやないとなんぼなんでも淋しいてな」

折口信夫『口ぶえ 折口信夫作品集』92頁 宝島社文庫

 

あちこち調べた先で、明治大正期は学生の間で男色が流行したとあり、「流行て...」とちょっとびっくりもしましたが、この他、『仮面の告白』で有名な三島由紀夫には、榊山保というペンネームでゲイ雑誌に投稿した『愛の処刑』という小説があり、これは、"好きな教師に死を要求し、自らも死のうとする少年の話"らしい。(未読)

 

話が逸れましたが、『カラオケ行こ!』には、こうした文学の系譜に連なる切実なものが感じとれて、それが絶妙なセンスで、エンタメとして軽快にまとまっている。

そこから再び漱石の『こころ』を読んだりすると、『こころ』が衝撃的で凄いな、となる。

 

映画に登場する部活「映画をみる会」で岡と栗山が鑑賞している映画の古典名作にも同様の効果が狙われていそうです。そんな相互作用の起きる映画だと思いました。

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』と宮崎駿『君たちはどう生きるか』を繋ぐもの

吉野源三郎君たちはどう生きるかは、引越しをした2015年、息子が中学2年生だった時に読んだ。9年前になる。

www.iwanami.co.jp

このところ宮崎駿君たちはどう生きるかの、折口信夫死者の書』や『古事記』との関連を考えてみたりもしたので、ふと本棚から岩波文庫君たちはどう生きるか』を出してみた。映画を観た直後には、「原作と違う。別物だと考えなくては」と思ったのだけれど、そうなのかな?という気がしてきた。

両者の類似と相違は、すぐにあげられる。

主人公の年齢性別は同じ。名前は潤一(あだ名:コペル君)、真人、と違う。コペル君はお父さんが死んでいるが、真人君はお母さんが死んでいる。少年の世界は、学校と家とその周辺だから、それは同じ。コペル君に広い視野を与えてくれるのは、おじさん。真人君にとってそれは、死んだお母さんが贈ってくれた『君たちはどう生きるか』などの本。書物と一緒に塔にこもって消えた謎の老人(祖父の弟?)もかもしれない。コペル君には友達がいるが、真人君は疎開先の田舎の学校に移ったばかりで友達がいない。

そして2人とも学校でのトラブルをきっかけにして、学校へ行けなくなる。(真人君の場合は継母の登場という家族関係の変化も絡んでくる)内面に強い葛藤を抱えた一種の心の病の状態への逃避と、そこからの「向き直り(転換)」が扱われている。

しかしこんな並列的ではない、2作品を繋ぐ別の何かがありそうだった。結論を先に言うと、コペル君の物語の読者が、真人君だということが重要だった。ヒントは岩波文庫をめくった最後に見つかった。丸山真男による

"「君たちはどう生きるか」をめぐる回想ー吉野さんの霊にささげる(1981,6,25)"。

これは吉野源三郎が亡くなった年(1981)に書かれた追悼文だ。真男、真人、なんとなく似ている気がする。この解説は「ともかく読んでみて !」と言いたい。そのくらい胸に響く。

丸山真男は、昭和二十年(1945年)から吉野が亡くなる前年まで、手紙のやりとりをした。直接会って話もする間柄だったが、それよりずっと前の昭和十二年(盧溝橋事件が起こった年)、新潮社から出版された『日本少国民文庫』の一冊『君たちはどう生きるか』を読んだ時の衝撃を、丸山はこのように記している。(読者として想定されるのがティーンエイジャーであることに触れた後で)

私がこの作品に震撼される思いをしたのは、少国民どころか、この本でいえば、コペル君のためにノートを書く「おじさん」に当たる年ごろです。私はこの本が出たのと同じ昭和十二年に大学を卒業して法学部の助手となり、研究者としての一歩をふみ出しました。しかも自分ではいっぱしのオトナになったつもりでいた私の魂をゆるがしたのは、自分とほぼ同年輩らしい「おじさん」と自分を同格化したからではなくて、むしろ、「おじさん」によって、人間と社会への眼をはじめて開かれるコペルくんの立場に自分を置くことを通じてでした。

(映画でも、『君たちはどう生きるか』の本を真人君が開くと、”大きくなった真人君へ 昭和十二年秋 母より”の文字がある。)

全文を写したいが涙を飲んで「書物」と「知識」についての箇所を。

コペル君がおじさんとの対話を通して、粉ミルクの観察から「人間分子の関係、網目の法則」を発見するくだりがある。これが実はマルクスの『資本論』の入門となっていること、それは一般の入門書にあるような理論の天下り的な説明ではなく、身近な現象の観察から理論へと向かう逆のアプローチの仕方になっていることに触れて、

一個の商品のなかに、全生産関係がいわば「封じ込められ」ている、という命題からはじまる資本論の著名な書き出しも、実質的には同じことを言おうとしております。けれどもとっくにおなじみの「知識」になっているつもりでいた、この書き出しを、こういう仕方でかみくだいて叙べられると、私は、自分のこれまでの理解がいかに「書物的(ブッキッシュ)」であり、したがって、もののじかの観察を通さないコトバのうえの知識にすぎなかったかを、いまさらのように思い知らされました。

映画に出てくる塔にこもった老人は、目の前の事物から切り離されていることを連想させる。

「書物」にある「知識」は、今を生きている自分が、じかに事物を観察し、自らの体験(痛み)を通して切実に問いかける中で、見つけ直した時にはじめてその真価を発揮する。コペル君というあだ名は、地動説を提唱したコペルニクスからおじさんがつけたものだ。

地動説は、たとえそれが歴史的にはどんなに劃期的な発見であるにしても、ここではけっして、一回限りの、もう勝負がきまったというか、けりのついた過去の出来事として語られてはいません。それは、自分を中心とした世界像から、世界のなかでの自分の位置づけという考え方への転換のシンボルとして、したがって、現在でも将来でも、何度もくりかえされる、またくりかえされなければならない切実な「ものの見方」として提起されているのです。(中略)

地動説への転換は、もうすんでしまって当たり前になった事実ではなくて、私達ひとりひとりが、不断にこれから努力して行かなければならない困難な課題なのです。そうでなかったら、どうして自分や、自分が同一化している集団や「くに」を中心に世の中がまわっているような認識から、文明国民でさえ今日も容易に脱却できないでいるのでしょうか。つまり、世界の「客観的」認識というのは、どこまで行っても私達の「主体」の側のあり方の問題であり、主体の責任とわかちがたく結びあわされているのだ、ということーーーその意味でまさしく私達が「どう生きるか」が問われているのだ、ということを、著者はコペルニクスの「学説」に託して説こうとしたわけです。認識の「客観性」の意味づけが、さらに文学や芸術と「科学的認識」とのちがいは自我がかかわっているか否かにあるのではなくて、自我のかかわり方のちがいなのだという、今日にあっても新鮮な指摘が、これほど説得的に行われている例を私はほかに知りません。

こうした背景にある思想や哲学を共有した上で、もしも今私が『君たちはどう生きるか』を作品にするとしたら。それは必然的に原作そのままの再現ではなく、新たに自らを主体として、同じ課題へ向かった悪戦苦闘ぶりを示すことになる。それが、宮崎駿君たちはどう生きるか』だったのではないか。アニメーションという手法を使って、どのように人間と社会を見つめて格闘してきたのか。過去作品のモチーフが映画の随所にちりばめられているのも、きっとそのためだと気がついた。

最後に亡き吉野さんの霊に一言申します。この作品にたいして、またこの作品に凝集されているようなあなたの思想にたいして「甘ったるいヒューマニズム」とか「かびのはえた理想主義」とか、利いた風の口を利く輩には、存分に利かせておこうじゃありませんか。『君たちはどう生きるか』は、どんな環境でも、いつの時代にあっても、かわることのない私達にたいする問いかけであり、この問いにたいして「何となく...」というのはすこしも答えになっていません。すくなくとも私は、たかだかここ十何年の、それも世界のほんの一角の風潮よりは、世界の人間の、何百年、何千年の経験に引照基準を求める方が、ヨリ確実な認識と行動への途だということを、「おじさん」とともに固く信じております。そうです、私達が「不覚」をとらないためにも...。

この最後を読むと、大学時代、その頃アニメージュに連載されていた漫画『風の谷のナウシカ』を待ち望んでいた自分を思い出す。そんな私に母が「いいかげん卒業したら」と投げかけた言葉も同時に思い出されるのだが。その私の経験にあるように「甘ったるいヒューマニズム」「かびのはえた理想主義」という批判は、宮崎駿にも、宮崎作品を好む人にも向けられがちなものだったと思う。その意味でこの最後の文は、私に溜飲を下げさせるものがあった。

引照基準は、より遠くに置き、それを目の前の今と相互作用させたいと、私も思う。

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追記

"世界の人間の、何百年、何千年の経験に引照基準を求める"

最近読んだこの2つの漫画には、これがあると思った。

岩明均ヒストリエ

舞台は、アリストテレスアレクサンドロス大王が生きた、古代ギリシア時代(紀元前300年頃)。アレクサンドロス大王とその父フィリッポス2世に仕えた文官、エウメネスの数奇な人生の物語(架空)。

afternoon.kodansha.co.jp

魚豊『チ。』

コペルニクスが地動説を提唱したのは1543年だが、舞台はその前夜、ヨーロッパ中世後期(1400頃?-1491年)を想定している。苛烈な弾圧にあいながらも地動説のタスキを繋ぐ人々の物語(架空)。

bigcomicbros.net

 

追記2

吉野源三郎からのタスキは、様々な流れに繋がっていると思う。この短編アニメーション『THE SKETCHTRAVEL』に表現されたタスキ(スケッチブック)も印象深い。堤大介の作品。最後に登場するのは、宮崎駿のよう。

www.youtube.com

『THE SKETCHTRAVEL』は2006年9月から2011年1月にかけて、堤大介の呼びかけで世界75カ国のアーティストが1冊のスケッチブックに無償で絵を描いてリレーした取り組み。スケッチブックは最終的にオークションにかけられ、その落札額は、第3世界諸国に図書館を建設している非営利組織へ届けられた。

過去への手紙(さくらさひめの大しごと→くらしのアナキズム)

久しぶりにブログに戻ったので、12年前の自分に、返事を書いています。もう全く別の人に感じられて新鮮。

okanagon.hatenablog.com

あれから、この絵本「さくらさひめの大しごと」をこちらに引っ越してきても探してみました。しかし図書館にもなく、手にも入らず、いつか忘れてしまいました。

でも最近手にとった『古事記』に手がかりがありました。

天岩戸事件が起こった後の話です。事件の原因、お母さん(イザナミ)が死んで悲しくて大暴れした須佐之男命(すさのおのみこと)は、全財産を没収され、髭も切られ、手足の爪も抜かれ、したたかに打ち据えられて、高天原(たかまがはら)を追い出されました。

追放になった須佐之男命は食物を大気津比売神(おおけつひめのかみ)にお求めになった。そこで大気津比売神は、鼻や口や尻からおいしい物をとり出し、さまざまに調理して、さし上げたが、須佐之男命はその有様を隠れて見ていらっしゃって、汚いことをして料理をさし出すと思われて、すぐに大気津比売を殺してしまわれた。ところが、殺された大気津比売の頭から蚕(かいこ)が、二つの目から稲の種が、二つの耳から粟が、鼻からは小豆が、女陰からは麦が、尻からは豆が生まれ、その身体はすべて植物となった。そこで、神産巣日御祖命(かむむすひのみおやのみこと)は、この植物をとって種とした。(梅原猛古事記』第一章国生み *五穀の起源 より)

この部分がはじまりでした。

絵本でさくらさひめは、大気津比売神の娘。ひめは植物から種をとり、袋に入れると、鳥に乗り、海を渡り、たどり着いた場所で、人々と一緒に、開墾や灌漑をはじめます。そこへ、山がまたげるくらいに足の長い足名椎(あしなずち)という男と、手が丘の先まで届くくらい長い手名椎(てなずち)という女がやってきます。2人はそれぞれ自分の長い手足に困っていたところを、さくらさひめが仲をとりもって結婚しました。足名椎が手名椎を肩車すると、ちょうど2人で1人の大きな人のようになり、さくらさひめを手伝って大活躍します。ここの絵がとても面白かった。最後は、実りが訪れてめでたしめでたし、というストーリーだったと思います。

さくらさひめは、神産巣日御祖命(かむむすひのみおやのみこと)とその子供の少名毘古那神(すくなびこなのかみ)からイメージを膨らませて創作されたものかもしれません。(少名毘古那神は、ガガイモの船でガチョウの皮を被ってやってきて大国主神と中国(なかつくに)を造る)

手名椎と足名椎の娘は、古事記では櫛名田比売(くしなだひめ)です。須佐之男命に大蛇(おろち)から助けられて妻になる。これは「五穀の起源」に続く「八岐の大蛇(やまたのおろち)」の物語です。

それにしても、みんなで汗水流して開墾や灌漑をして国造りしたところへ、天照大神が「そこは私の治める国だから」と家来を派遣するのは、ちょっと無体な気がします。

死者の書』に出てきた天若日子が、天から派遣されて、地元の娘と結婚して、その土に馴染んでしまって、上の意向を無視してしまったのも、人情としてわかります。バラバラだった神話世界が、少しずつ頭の中で繋がってきました。

国家の成り立っていく様を見ているようです。

松村圭一郎は「くらしのアナキズム」で、そうした国家から逃げて、そこに組み込まれず独自に暮らす自治組織が、世界中のあちこちにある(あった)のを紹介していました。

これは別のお話になるので、また今度。

mishimasha.com

折口信夫『死者の書』と宮崎駿『君たちはどう生きるか』

『死者との対話』というテーマは、宮崎駿君たちはどう生きるか』もそうだ。

去年7月に観た際には、伝統的な「行きて帰りし物語」のストーリー展開にのっとった作品だと感じた。今、折口信夫死者の書』やダンテ『神曲』と、同じ構造も持っていると、あらためて思う。

3作品に共通するのは、主人公が「死者への想い(恋慕)」から「旅(異界への)」をし、そこには「案内人」が登場することだ。

主人公真人(まひと)少年は、戦火で死んだ母を訪ねて、異界(黄泉の国、常世、生命が生成消滅する場)へ行く。そして数々の冒険をして、戻ってくる。

その異界では、『思い出のマーニー』のように、少女時代の母に会い、『ゲド戦記』のように、世界の均衡の要となる場所へと行き着く。彼はそこに留まり、均衡を保つ仕事を引き継いで欲しいと、老人に請われる。

古墳らしき丘から入った岩屋には、腐りかけた身体の母(≒身重の継母)が、横になっている。『古事記』でイザナギイザナミに会いに行って、その姿を見てしまったように。

案内人のアオサギは、中に人が入っているのだが、私は少名毘古那神(スクナビコナノカミ)がモチーフになっているのではないかと思った。

梅原猛古事記』には、以下のように記されている。

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さて、大国主神(おおくにぬしのかみ)が出雲の美保の岬にいらっしゃいますときに、波の上から蘿藦(ががいも)の船に乗り、鵞鳥(がちょう)の皮をまるっぽ剥いだ着物を着て、こちらへやって来る神があった。(梅原猛『学研M文庫』52頁)

ーーー

大国主神が名を尋ねても答えないし、家来の神たちに聞いてもわからない。すると、ひき蛙が、「きっと、久延彦(くえびこ=山田の案山子)が知っていることでしょう」と言うので、久延彦を呼んで尋ねると「この神は神産神(かむむすびのかみ)の御子の少名毘古那神(すくなびこのかみ)です」と答えた。

その後、この少名毘古那神は、大国主神と協力して、中国(なかつくに)を造り固める大仕事をして、それが終わると黄泉の国へスタスタと行ってしまう。

ーーー

私は結構この話が好きだ。誰も名を知らないのに、田んぼのカカシが知っているとか。国の地固めという大事業なのに、小さな神が小さなガガイモの船でふらりと来て、やるとか。

ガガイモの殻は船の形に似ている。参考(暮らしのほとり舎)↓

https://www.kurashi-no-hotorisya.jp/blog/4seasons-things/seasonal-flower/gagaimo.html

殻にふわっと綿毛がある様は、鳥が乗っているみたいにも見える。神が鵞鳥(がちょう)の着ぐるみを着ていると思うとなんともユーモラス。

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このほか作品の中にベックリンの絵「死の島」が出てくると、封切り直後に話題にもなっていた。

ベックリン「死の島」

君たちはどう生きるか』は見る人の持つ背景によって、様々に解釈ができる。宮崎駿は、数限りなく児童書、本を読んできた人だから、あたり前ではあるけれど。80歳を超えた彼の死生観を共有できる、これまでの集大成と言える作品だと思う。

 

*主題歌 米津玄師「地球儀」

www.youtube.com

 

okanagon.hatenablog.com

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追記

もう少し、『死者の書』と比較してみる。折口信夫(1987年生)は、1939年に始まった第二次世界大戦前に壮年期を迎え、宮崎駿(1941年生)は戦後に壮年期を迎えている。徴兵された世代の上と下で、どちらも戦争には行っていないが、戦争を体験している。

折口が『死者の書』で、死者に呼ばれ、行ったまま戻らなかった人物を主人公に描いたのは、大戦中の特攻隊に象徴される、散るを美とする思想もあったのではないか。それに対し、宮崎駿は、現実に戻り、泥臭く生きていく主人公を設定している。「生きろ」は宮崎駿の一貫したメッセージだ。どちらも時代の影響を色濃く受けているが、受け取り方は違う。けれども、死者(死の世界)を想う時に、日本の古代神話の世界に繋がっていくところは、同じだと感じられた。

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追記2

映画の中で、古墳の丘、塔の周りやその内部で、ペリカンやインコの大群が出てくるが、『死者の書』に登場する、俤人=天若日子も、鳥と関係が深い。上の少名毘古那神の話の後にすぐ続く物語だ。梅原猛古事記』によると、

中国(なかつくに)に送った天若日子に謀反の心があるかどうかを確かめるため、鳴女(なきめ)という名の雉(かり)が、高天原(たかまがはら)から地上へ遣わされる。天若日子はその雉を矢で射て殺してしまう。矢は高天原にまで飛んでいき、その矢を高木神(たかぎのかみ)がとって「悪い心があれば死ね」と念じて射返すと、矢が当たって、天若日子は死ぬ。その死を嘆いた父や妻子は、地上に殯屋(もがりや)を建て、

河の雁(かり)を死者に食事をささげる役のものとし、鷺(さぎ)を殯屋の掃除をするものとし、翡翠(かわせみ)を食事をつくるものとし、雀(すずめ)を米をつく女とし、雉(きじ)を泣き女として、八日八晩の間、連日、にぎやかに遊んで、死者の霊を迎えようとした。(梅原猛古事記』学研M文庫 59頁)

色んな鳥が、死者の周りで世話役をしている。映画に登場する鳥(インコ)たちも、塔の老人の家来で世話をしている。映画中、弓矢も度々出てきて重要な役割を果たす。古事記はきっとイメージの源泉になっているのに違いない。

 

*『死者の書』は、折口が56歳の時、1943年9月に出版されている。同年9月には藤井春洋(折口の養子)が再召集を受けて金沢の連隊へ入隊している。この後、翌年6月まで加藤守雄同居。1944年6月、加藤が去ったので岡崎まで訪ねていく。藤井春洋は1944年7月に硫黄島に着任。1945年3月31日、大本営硫黄島全員玉砕発表。(参考:『口ぶえ』折口信夫作品集 宝島社 年譜<解説>持田叙子) 

 

吉野源三郎君たちはどう生きるか』は、昭和十二年(1937年)に『日本小国民文庫』の一冊として新潮社から発行されている。(映画中の本の見開きの昭和十二年の文字はその意味もあるかと思う)参考:丸山真男君たちはどう生きるかをめぐる回想ー吉野さんの霊にささげるー』(『君たちはどう生きるか岩波文庫 あとがき)

アドラー他『本を読む本』

ここまで『死者の書』でやってきたのは、実は

『本を読む本』(講談社学術文庫
を参考にした実践のつもりでした。
 
(うまくはできてないけれど)
以下のシントピカル読書まで、なんとか行こうと...
 
(『死者との対話』を主題にして、『死者の書』と『神曲』を対比させようと試みてみました。その主題では、チベットの『死者の書』も組み込めるはずです。また、本を読むという行為そのものも、その作者が存命でなければ、それは死者との対話だと言える。)
 

『本を読む本』では、初級から様々な段階の読書を見渡しつつ

中でも「分析読書」に重点が置かれており、

問いかけながら「発見」をしていく読み方が勧められています。

 

学生時代には誰でも、教師の手ほどきで難解な本に取り組むものである。だが、自分の読みたいものを読むときや、学校を出てから教養を身につけようとすれば、たよるものは教師のいない読書だけである。だからこそ、一生の間ずっと学び続け、「発見」しつづけるには、いかにして書物を最良の師とするか、それを心得ることが大切なのである。この本は、何よりもまず、そのために書かれたものである。(本文より)

 

レベル1:初級読書 ....  言葉の識別→文脈を把握、本を1人で読みきる

                       <6,7歳頃〜10代初め>

レベル2:点検読書 ....  与えられた時間内に内容把握、系統的拾い読み

             ↑自分にとって必要な本かどうかを選別する技術

レベル3:分析読書 ....  問いかけながら徹底的に読む <高校が望ましい>

レベル4:シントピカル読書 .... 一つの主題について何冊もの本を関連づけて読む

              <↑大学が望ましい:実状は大学院で身につく>

 

折口信夫『死者の書』とダンテ『神曲』

読後の余韻に浸っていましたが、ここまで読んできた『死者の書』と、去年読んだダンテ『神曲』とを、重ねて、つらつら思ったことを書いてみようと思います。

 

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折口の『死者の書』には、飛鳥時代の国家体制や習俗、それによる人々の物の考えがどんな風であったかを表すため、著者自身の民俗学、国文学、歴史の豊富な知識がふんだんに織り込まれている。(それが読みにくさでもあるけれど)

 

ダンテ『神曲』も、ダンテが生きた当時のイタリアのフィレンツェとその近郊の習俗、政治、歴史、学問教養についての知識がないと、とても理解できない。

 

読み進めるのに、日本イタリア会館の星野倫さんの解説が非常に参考になった。それによると、イタリアの高校教科書には『神曲』が収録されていて、イタリアの高校生たちは、『神曲』に絡めて歴史、哲学を3年かけて学ぶのだそうだ。

 

 

物語の主人公ダンテは、暗い森に迷っている。それを哀れに思ったベアトリーチェ(実際のダンテの初恋の相手、若くして亡くなった)が、彼を救おうと、詩人ヴェルギリウスを使わす。

 

ダンテはヴェルギリウスに導かれて、地獄、煉獄と旅をし、天国でヴェアトリーチェに再会する。そこからはベアトリーチェに導かれて天国の各階層を登っていく。

 

ベアトリーチェは、現実の人物(色身)だった。ダンテは死んだ彼女(想い人)を天国に置き神格化している。

 

死者の書』で、このベアトリーチェに対応するのは、俤人(おもかげびと)で、阿弥陀仏天若日子、滋賀津彦(色身から御霊)、が混然一体となっている。(追記参照)特に天若日子と滋賀津彦は、時を超えて存在する人間の類系(体制側から謀反の罪を着せられ殺される)でもある。

 

物語で旅をする主人公がそれぞれ、ダンテ(男性)、郎女(女性)と、男女逆転している。これは、折口が同性愛者であったことも関係するかもしれない。著者の心が投影されているのが郎女であり、俤人(若くして死ななければならなかった男)を哀れみ慕う気持ちを綴ったと考えるとしっくりする。(追記2参照)

 

案内人ヴェルギリウスは、郎女の父や当麻の語り部の老婆(尼)がそれにに当たるだろう。父は書物を与え、老婆は、郎女に昔話を語り、また夢に尼の姿をとって現れ、郎女を導いている。

 

神曲』では、ベアトリーチェがダンテを救う、というベクトルの向きは一貫して揺るがない。

 

しかし『死者の書』では、阿弥陀仏としての俤人は、郎女を救う側にいるが、天若日子、滋賀津彦としては、救いが必要な存在で、そのベクトルは揺らいでいる。

 

郎女も、はじめは女でも救われるという法華経阿弥陀経を習い、救われる側にいる。けれども物語の途中から、彼女は裸身の俤人を哀れみ、救おうとひたすらに行動していく。そこでは、阿弥陀仏と郎女の役割が曖昧になり一体化する。最終的に人々が壮麗な浄土を目の当たりにする曼荼羅を描き上げるのは、郎女だ。

 

マリア、阿弥陀仏が注ぐ慈愛、慈悲の眼差しは、母性的である。

ベアトリーチェはマリア(母)、郎女は阿弥陀仏(母)に近いとも言え、この点で両者は似通っている。

 

しかし『死者の書』では、救う、救われる、が登場人物の間で捩れの関係にあり、俤人、郎女がそれぞれ複数の要素が混合しているのが特徴的だ。この曖昧なところが、日本的とも言えそうだ。

 

神曲』のラストは、愛に抱擁され大団円で終わる。

 

私の空想の力もこの高みには達しかねた。

だが愛ははや私の願いや私の意を、

等しく回る車のように、動かしていた。

太陽やもろもろの星を動かす愛であった。

平川祐弘訳 天国編 145  河出文庫 456頁

 

一方の『死者の書』のラストで、去っていく郎女は、この身が二度と現実世界には戻らないことを知っているように描かれる。最後に世界へ向ける惜別の眼差し。これが、古い昔からの日本人の心情に、ぴったりくると折口は考えたのだと思う。

 

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追記

2008年に受けた内山節先生の授業「親鸞」の回で

日本の宗教は神仏習合で、これが分けられたのは明治以降のこと、それまでは自然信仰と仏教は混じり合い一体化して人々の間にあった。。

と聞いたのをすっかり忘れていました。それならば、小説で天若日子(神)と阿弥陀仏が混合するのも自然です。

人間は生まれた瞬間は清らかだけれど、生きているうちに穢れをどんどんまとう。死ぬと死者の霊は、山へもどっていき33年から50年(100年という所もあるらしい)かけて穢れが清められ自然(じねん)にかえり、神となると考えられる。そうした祖霊神が、その時その時によって、田の神、水の神、山の神となって権現する。

ことも聞いていました。小説は、滋賀津彦が死んで五十年後だから、ちょうど神になった時期だと言えます。だから3者(阿弥陀仏天若日子、滋賀津彦)が郎女の中で混じり合うのはそのためだと納得しました。ブログに書いて残しておくのは大事ですね。

参考)

okanagon.hatenablog.com

 

追記2

『口ぶえ』折口信夫作品集 宝島社 <解説>持田叙子

には、『死者の書』の原点となる『神の嫁』が収録されている。持田氏の解説に

死者の書は)生きた乙女と死んだ怨霊の恋を鮮明な主題とする。殺された皇子の無念の魂を、聖なる巫女姫が癒して復活させようとする。書くうちに自分が姫となり、傷つきうめく未完成霊に寄り添っていたと折口が告白する、恋の名作である。194頁

とあり、やはり折口が自身を投影しているのは郎女である。御霊(神)だと思っていたが、未完成霊だった。

 

折口信夫『死者の書』(十九、二十)

物語は終章に向かって一気に駆け昇り、壮麗な幻が眼の前に広がって、すっと消えました。

 

圧巻のラストでした。可哀想で、言う言葉が、今は見つかりません。

 

連想したのは、ガルシア・マルケス百年の孤独』に出てくる、汚れなきレメディオスの話。最後に置いておきます。

 

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十九)上帛

 

季節は秋。満月の夜、郎女は一反の上帛(はた)を織り終えた。若人たちは、夜の更けるのも忘れて、出来栄えを褒め、見とれている。それは月の光を受け、美しく、清らかたっだ。

 

一反...11m40cm〜12m

上帛...神前に供える白いきぬ

 

二度目の機は、初めの半分の日数で仕上がった。三反織り上げたところで、姫の心に新しい不安がもたげてきて、五反織りきると、機から下りた。そして今度は、昼も夜も針を動かした。

 

長月(9月)の三日月がかかるのを見て、この夜寒に、俤人の肩の寒さを思うだけでも、堪えられなかった。

 

ただ、他人の手に触れさせたくない、という思いから、解いては縫い、縫ってはほどきした。何人分もに当たるような大きさのお身体に合う衣を縫うすべを知らなかったのだ。せっかくの上帛が、裁断したり、截(た)ったりするので、段々と狭くなっていく。女たちは、何を縫おうとしているのか、見当もつかず、ただ見ているしかなかった。

 

日増しに寒くなってきて、人々は奈良の館に帰ることばかりを願うようになっていた。ある暖かい昼、郎女は薄暗い廬の中で、うっとりとしていた。その時、語り部の尼がどこからか現れて、こう言う。

何を思案遊ばす。壁代(かべしろ)の様に縦横に裁ちついで、其まま身に纏うようになさる外はおざらぬ。それ、ここに紐をつけて、肩の上でくくりあわせれば、昼は衣になりましょう。紐を解き敷いて、折り返し被れは、やがて夜の衾にもなりまする。天竺の行人たちの著る僧伽梨(そうぎゃり)と言うのが、其でおざりまする。早くお縫いあそばされ。(本文より)

 

それは昼の夢であった。姫は覚めるとすぐに縫い始めた。2日としないうちに、大きな一面の綴りの上帛が仕上がった。若人たちは「何ヶ月もかけて、ただの壁代をお織りなされた。なんとも惜しい」とがっかりする。

 

郎女は、これではあまり寒々としている、と悲しみながら考えていた。

 

二十)曼荼羅

 

世の人の心は賢しくなり、語り部はもう必要とされなくなっていた。当麻の姥も、同様だった。郎女というまたとない聞き手に出会ってから、姥はどこにいてもぶつぶつと一人語りをするようになっていた。当麻に縁ある方が世に上っためでたいこの時、自分が語り部として呼び出されるのを期待もしたが、それも虚しく終わった。

 

秋が深まり、衰えが目立ってきた姥は、知る限りの物語を喋りつづけて死のう、と腹を決めた。そして、郎女の耳に近いところところを求めて、さまよい歩いていた。

 

ある夜、郎女は奈良の家に彩色(えのぐ)があったのを思いつき、すぐ取ってくるようにと長老に命じた。長老は、渋々夜道を急いだ。

 

翌朝、絵の具が届けられると、姫は五十条(約10人分の袈裟の広さ)もの上帛に、じっと目を据え、やがて、楽しげに筆をとると、下がきなしでいきなり絵具を塗り始めた。みるみるうちに、美しい楼閣伽藍が表され、紺青の雲、紫雲、金泥の靄が、命を絞るように描き込まれていく。やがて金色の雲が凝集して、この世の人とも思えない尊い姿が顕れた。

 

刀自・若人たちは、時の経つのも忘れ、みじろぎもせず、姫の前に展開する壮麗な七色の光の霞を、ただ呆けたように見ているばかりだった。

 

郎女が、筆をおいて、にこやかな笑(えま)いを、円く跪坐(ついい)る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去った刹那、心づく者は一人もなかったのである。まして、戸口に消える際に、ふりかえった姫の輝くような頬のうえに、細く伝うもののあったのを知る者の、ある訣はなかった。

 

姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様は、そのまま曼陀羅の相を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻る画面には、見る見る、数千地湧の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐいかも知れぬ。(本文より)

 

おわり

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最後に、以下の描写と、『百年の孤独』のレメディオスのシーンとを対比してみます。

 

郎女が、筆をおいて、にこやかな笑(えま)いを、円く跪坐(ついい)る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去った刹那、心づく者は一人もなかったのである。まして、戸口に消える際に、ふりかえった姫の輝くような頬のうえに、細く伝うもののあったのを知る者の、ある訣はなかった。

 

私が『百年の孤独』に初めて出会ったのは、柳田邦夫『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』文春文庫 なので、こちらから引用します。これは、私の父が甲状腺癌の闘病していた20年ほど前に読みました。柳田さんは、本棚のガルシア・マルケス著『百年の孤独』を引き出し、亡くなった息子さんが、しおり紐のはさんでいた箇所を開き、

 

柳田邦夫『犠牲 わが息子・脳死の11日』P.11より

 

《ああ、やはりレメディオスの話のところだ》ーそれは彼が好きだといっていた場面が書かれてある頁だった。手を出した男どもに、次々に非業の死をもたらしたイノセントな白痴の小町娘レメディオスが、突然姿を消してしまう場面だ。

 

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三月のある日の午後のことだった。紐に吊したシーツを庭でたたむために、フェルナンダが家じゅうの女に手助けを求めた。仕事にかかるかかからないかに、アマランダは、小町娘のレメディオスの顔が透きとおって見えるほど異様に青白いことに気づいた。

 

「どこか、具合でも悪いの?」と尋ねた。

 

すると、シーツの向うはじを持っていた小町娘のレメディオスは、憐れむような微笑を浮べて答えた。

 

「いいえ、その反対よ。こんなに気分がいいのは初めてだわ」

 

彼女がそう言ったとたんに、フェルナンダは光を孕んだ弱々しい風がその手からシーツを奪って、いっぱいにそれを広げるのを見た。自分のペチコートのレース飾りが妖しくふるえるのを感じたアマランタが、よろけまいとして懸命にシーツにしがみついたその瞬間だった。小町娘のレメディオスの体がふわりと宙に浮きあがった。ほとんど盲に近かったが、ただ一人ウルスラだけが落着いて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。目まぐるしくはばたくシーツに包まれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞い上がり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。(鼓直訳、新潮社版 82頁より)

 

 

メディオスは高みへと昇天しますが、

郎女は滋賀津彦(天若日子)の待つ昏い墓所へ降りていくのか、沈む太陽へ向かうのか、、そこは定かでありません。

 

*ブログ記事 折口信夫死者の書』(1)〜(11)は、青空文庫の頁を参考にしています。青字は、本文から引用。

 

 

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追記)

三)で登場した語り部の老婆は、十二)で乳母につまみ出されて一旦退場しますが、最終章二十)で再び登場します。そこで十八)十九)で郎女の夢に現れた尼僧は、老婆だったということが示唆される。はじめから終わりまで、物語の真相部分に関わっていたのはこの老婆で、語り部としての役割を全うしようとしています。

 

古いものが失われてゆく悲しみ、がこの物語のテーマの1つにあり、語り部もそうですが、石垣の家づくり、に関連して、家持もその悲しみを共有する者として描かれています。もののあはれを解する人々は、やっぱり隅に追いやられて、現実的な出世や栄達とは縁がないのだなぁと改めて。(鴨長明も然り、ダンテも然り)