折口信夫『死者の書』(十五)

物語は、時の進み方が加速していきます。

あっという間に春分の日から1月経ち、躑躅(つつじ)の季節。

 

私が散歩するこの辺でも、昨日の暖かさにミツバツツジが咲き始めていました。やがて山道が躑躅の花のトンネルのようになるのも近い。

 

さて、夜あらわれるものが、御霊なのか、阿弥陀なのか、十五)でも判然としません。はっきりと分けられないところが、不思議な魅力になっています。

 

音ー御霊

光ー阿弥陀

 

という関係はありそうなのですが。

  

2024.4.2  山道にて

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十五)躑躅(早処女)

 

つた つた つた

 

音の近づく畏しい夜更けを、郎女はひたすら待つようになった。しかし、それは日ごと間遠になり、この頃は音がしなくなった。郎女は、絶望のままに一睡もせず、ほとんど祈るような心で待ち続けている。

 

あっと言うまに半月が過ぎた。

都に家族や恋人を残してきた男たちの多くは、乳母の配慮で帰された。女たちの中には、郎女が夜眠らず、ため息をついたり、うなされたりしているのに気づいて「魂ごいの山尋ねの咒術をしてみてはどうか」などと言う者もいる。けれど乳母は、先日の、当麻の語り部とかいう怪しげな老婆が、勝手に魂ごい(9人の白装束の山尋)を指示したので、こんな悪い結果になったと思い「姫の魂があくがれ出た処の近くにいれば、やがては元の身になられるだろうから、気長に気長に」と女たちを諭していた。

 

早一月が過ぎ、山に躑躅(つつじ)が燃えるように咲きはじめた。

ある日、里の娘たちが二十人ばかり、髪に躑躅を差し、山から降りてきた。彼女たちは、早処女で田の植え初め前に山籠りをしてきたのだ。若人が、娘のうち2、3人を中に呼び入れて語らい、変わった話はないかと尋ねた。

 

ー娘の話ー

 

ゆうべのことです。山ごもりしていると、山の上の崖をどうと踏み越えて降りて来る者がありました。音は、真下へ真下へ降っていきました。みなうなされていると、続いて岩のガラガラ崩れ落ちる響きがして、それはちょうどこの堂の真上のところに当たっていたんです。こんな処に道はないはずだから、おかしいなと、今朝起き抜けに見てみると、案の定、赤岩が大崩崖(おおなぎ)していました。でもゆうべの足跡はちっとも残っていなかったのです。

 

それで思い出したのですが、この頃、ちょくちょく子から丑の刻の間に、里から見えるこのあたりの峰の上に、光る物があったり、季節でもないのに山颪の凄い唸りが聞こえたりするのです。里の人たちは恐れて謹んでいます。

 

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夜が更け、娘たちが帰った庵では、昼間の話におびえ疲れた女たちが眠りこんでいる。

 

郎女が一人、目を覚まして外の気配に耳を澄ましていた。

 

ふと、頭上の灯火の光の暈が変化して明るくなり、大輪の花が出現した。その浄らかな蓮華の花の蕊(しべ)に、雲のように動くものがある。黄金の髪に閉じた目は憂いを持ち、郎女を見下ろしている。肩、胸、冷え冷えとした白い肌。

 

おお おいとおしい

 

自身の声に目を覚ます。夢を見ていたのだ。その夢の続きのように、郎女はつぶやく。

 

おいとおしい。お寒かろうにー。