折口信夫『死者の書』(十六)

この十六)は、若人のはつらつとした働きぶりが、楽しい章でした。

 

当時の女性の暮らしの、民俗学的な記述のように思えるものも織り込んであって、面白いです。(ただこれは、物語の肉付けなので、以下では割愛)

 

十一)で、蓮の茎からとる繊維のことを、郎女がつらつらと思い出していました。それが、蓮の季節を迎え、ここで再び登場してきます。

また、この十六)で二)の白装束の9人を派遣したのは、当麻の老婆であったことが判明します。

*のびやかでユーモラスなシーンもあるこの章に合いそうな曲。

B.マルティーヌ 弦楽四重奏第1番「フレンチ」

ベンネヴィッツ・カルテットによるドヴォルザークホールでの演奏

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十六)蓮の糸(若人たち)

 

郎女の父豊成は、このところの新羅の暴状に、軍船を作り征伐の準備せよ、と太宰府から命を受け、都とのやりとりに多忙な日々を送っていた。そんな時に、郎女の話を子古から聞いた。これは一見なんでもない事のようで、実は重大な、家の大事である。豊成は、どうしてよいか途方に暮れてしまっていた。

 

知り合いの寺々に、当麻寺へよい様に命じてくれるよう、手紙を送ってもみた。一方、処置方を聞いてきた長老・刀耳たちへは、「郎女をひたすら護っておれ」という抽象的な返事をしていた。

 

供の者たちは、次の消息には、殿から何か具体的な仰つけがあるだろう、と待っていたが、日は飛ぶように過ぎていく。

 

そんな中で、屈託ばかりもしていない若人たちは、庭の池のほとりに降り立って、このところ急に伸びてきた蓮の茎を切っては、集め出した。それを見ていた寺の婢女(めやっこ)が、「まだ半月早い、寺の領内にある蓮田へ案内しよう」と言い出した。

 

もとから供の女たちは、ここでも、染め、裁縫、などをして姫のために精を出して働いていた。家の神に仕えるという誇りはあったが、家仕事自体は、そのあたりの農村の女たちと大差はない。

 

若人たち十数人は、張り切って蓮田へ出かけると、しばらくして泥だらけの姿で、手に手に大きく育った蓮の茎を抱えて戻り、廬(いおり)の前に並んだ。これには、いつもは、しかめつらしい乳母も笑いをこらえきれず、「郎女さま、ご覧ください」と堅帳を上げるのがやっとだった。

 

姫には、そんな皆の姿が羨ましく思えた。

 

この身も、その田居とやらにおり立ちたいー。

 

めっそうなこと、仰せられます。

 

その日から、若人たちは蓮の茎から取った繊維で糸よりを初め、数日後に六、七かせの糸を郎女に見せた。

 

乳母よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の巣より弱く見えるがよー。

 

この言葉に、これは確かに弱すぎると、乳母は若人を集め、「もっと強くきれない糸を作らないと役には立たない」と言った。しかし、よい案はない。すると

 

この身の考えることが、出来ることか試して見や。

 

夏ひきの麻生(おふ)の麻(あさ)を績む様に、そして、もっと日ざらしよく、細くこまやかにー。

 

まるで目に見えぬ人の教えをたどっているかの様に、郎女が言った。

 

その言葉通りに、若人たちは、茎を水に浸しては晒し、晒しては水に漬けして、よく乾かし、槌で叩き、細く細く裂いていった。その様子を、郎女が思い詰めたように、端近くまで寄って見たりするので、ついには刀自たちも手伝いはじめた。蓮糸のまるがせがどんどん高く積まれていった。

 

もう今日はみな月に入る日じゃのー。

 

※みな月=陰暦の6月。今の7月半ば〜8月半ばに当たる。

 

その郎女の言葉を聞いて、刀自はドキリとする。郎女は、再び秋分の日が近づいていることを、身に迫る様に感じていたのだ。婢女が「今が刈りどきだ」と言うので、若人たちは手も足も泥だらけにして、毎日蓮田に立ち暮らしていた。