折口信夫『死者の書』(十七)

瞬く間に、問題の「秋分の日」です。

 

十五)で御霊と阿弥陀仏はそれぞれ音と光に分けられるのかしら、と思っていたら、御霊も光?わけがわからなくなってきました。もう混沌です。合体しちゃったのかな。

 

「折口先生、乙女心を持ってる!」

 

とすごく思ったのが、大輪の花の蕊の中に、大理石のような肌をした美男が現れる十五)と、この十七)。官能的で美しい。

 

今流行りの言い方をすると、「推し」に一目会いたい一心でここまで待っていた郎女が、ついにすぐ目の前に現れた「尊い」姿に、初めてこちらを見られて、尊さのあまり目を伏せそうになるのだけれど、「いやここを逃しては!」と必死に目をそらさないところなんか、少女漫画にしたくなるようなシーンです。

 

「見る」という行為が、この物語の重要な鍵。滋賀津彦が、命を落とす前に、耳面刀自を「見る」。それまでは目を閉じていた俤びとが、ここではじめて、郎女を「見る」。決定的な分岐点がここだと言えそうです。

 

※弓鳴と反閇は、今も行われています。下に動画を置きましたのでご覧ください。反閇は、後でチョコチョコ踏んでいるのが妖精チックで可愛らしい。

 

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十七)秋分の日

 

暮れ時になって、大山嵐が吹きはじめた。板屋が吹き飛びそうなほどに煽られ軋む。若人たちはことごとく郎女の廬に上がって、刀自を中に心を一つにして顔を寄せた。庭先はまだ明るかったが、家の中が暗くなったその時、

 

郎女様がー。

 

と誰かの声がした。そこにいた全員、頭の毛が逆立つほどギョッとなった。恐怖のあまり誰も声が出ない。今の今まで、乳母は後から姫を抱えていたのだ。ああ、姫は嫗の両腕両膝の間には、居させられぬ。

 

突き上げてくる慟哭を抑えて、乳母は気持ちをとり戻し、凛とした声で

 

誰ぞ、弓をー。鳴弦じゃー。

 

※鳴弦(つるうち)... 弓の弦を強く弾き鳴らして魔を払うまじない

 

と叫ぶと、すぐさま壁の白木の檀弓(まゆみ)をとりあげ、

 

それ皆の衆ー。反閇(あしぶみ)ぞ。もっと声高にー。あっし、あっし...。

 

※反閇(へんばい)...邪気を除くために呪文を唱え大地をふみしめて歩くまじない。

 

と激を飛ばした。

 

あっし あっし あっし

 

皆で狭い廬の中を、まるで行者の群れの様に踏み歩く。そこへ、万法蔵院の婢女が、息を切らしてきた。郎女様と思われる人が、寺の門に立っているのを見たので、知らせに来た、と言う。嵐の中、婢女を先頭に、行道の群れは早足に練り出す。

 

あっし あっし あっし

 

万蔵法院は、鎮まりかえっていた。

 

姫は、部屋から見る空の狭さを悲しんでいるうち、いつの間にか門まで来ていた。その先は結界なので、門の閾(しきみ)から、伸び上がるようにして、山の際の空に見入っていた。

 

すると、二上山の中央の空に、白銀の炎があがり、山際の空が明るく、輝き出したかと思うと、肌 肩 脇 胸 が現れた。ただし、顔ばかりはほの暗かった。

 

今すこし著(しる)く、み姿顕したまえー。 

 

姫は、全身で叫ぶ。山腹の紫だった雲が、静に静に降りてきて、万法藏院は、隅々まで真昼のように明るくなった。庭の砂上すれすれまで、たなびいてきた雲の上に、半身を顕した尊者が、匂いやかな笑みを含んで、初めて目を開き、郎女を見た。軽くつぐんだ唇は、物を告げるようにほぐれている。郎女は尊さに目を伏せそうになるが、この時を過してはと思う一心で御姿から目をそらさない。高貴な人を讃えるものと、郎女が思い込んでいたあの詞が、心から迸り出た。

 

なも 阿弥陀ほとけ。

 

その瞬間に明かりは薄れ、雲も尊者もほのぼのと暗くなり、高く高く上って、二上山の山の端にすっと消えた。

 

あっし あっし 

 

足を踏み、前を駆(お)う声が近づいてきた。

 

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追記:

 

鳴弦(めいげん) の儀

 

 

 

 

反閇(はんべい) 

 

 

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