折口信夫『死者の書』(十四)

西方浄土と言いますが、物語に出てくる地を、西から順に書き出してみると

 

天竺(インド)←漢土(中国)←太宰府←難波←二上山、当麻←奈良

 

矢印は、郎女の指向を表しています。

郎女はちょうど真西に沈む、春分の日秋分の日の太陽に、俤(おもかげ)びとを見ます。その姿は、御仏のようでした。当麻の老婆は、それは天若日子、滋賀津彦の御霊だと言いますが、、ここで

 

阿弥陀仏                         ...  天竺

・郎女の父からの書物   ...  漢土

・父                                    ...  難波、太宰府

・滋賀津彦(天若日子)  ...  二上山(当麻)

・郎女                                 ...  奈良から当麻へ

 

のように、場所と人(書物)を関連づけて、先の十三)を振り返ってみます。

 

夜更け、滋賀津彦の御霊が、万蔵院の郎女の几帳まで近づきます。

この逢瀬が成就すれば、おそらく郎女は死ぬのが予感されます。

 

郎女が深い眠りに落ち、白玉を抱いて水底へ沈んだ夢を見たことにも、それが現れている。(この世ならぬ夜の訪問者(死者)が死をもたらすのは、「耳無し芳一」や「牡丹灯籠」などもそうです)

 

悲しさとも、懐かしみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行った。

 

とあって、郎女は、御霊も阿弥陀仏も、区別していません。白装束の9人のように、御霊を畏れ逃げ去ったりはしない。思いの深さが感じられる場面でした。

 

灯火にあらわれた姿は、難波にいる父、父が与えた経文の阿弥陀仏が顕現して、郎女を護っているように見えます。

 

次の十四は、再び奈良の都です。家持が目上の仲麻呂に気を遣いながら、語らっています。昔も大変だったんだな。郎女、あれは只者ではないよ...という意見の二人。

 

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十四)語らい(藤原仲麻呂大伴家持

 

大仏殿の広目天像に似ていると人々に噂された藤原仲麻呂(50歳過ぎ、郎女の父の弟)と、大伴家持(42、3歳)が語らっている。

 

漢土の書物の話から「女子(おみなご)は智慧づかせないのが男のためだ」と言う仲麻呂に、「女子が智慧を持ち始めたら、女部屋にはじっとしていないでしょうね、第一横佩墻内の…」と家持が返したことで、郎女の話題となる。

 

仲麻呂は「(郎女が)齋き姫もいや、人の妻と呼ばれるのもいやで、尼になる気を起こしたのではないかと、不安だよ」とこぼす。家持の家、仲麻呂の家はそれぞれ自家から斎宮(神に仕える高貴な女性)を出すことで政治力を保ってきた。それが他流の家から出るのは、大問題なのである。家持自身も同じ問題を抱えている。

 

酒が運ばれ、少し酔いの回った仲麻呂に、ふたたび家持が、「横佩墻内(よこはさかきつ)の郎女はどうなるでしょう。社か、寺か、それとも宮...。どちらへ向いても神さびた一生だ。そうであれば惜しい」と水を向けると「気にするな。気にするな。気にしたとて、どうできるものか。これは、....もう、人間の手へは、戻らぬかもしれんぞ」と、最後は独り言のようにつぶやく。