折口信夫『死者の書』と宮崎駿『君たちはどう生きるか』

『死者との対話』というテーマは、宮崎駿君たちはどう生きるか』もそうだ。

去年7月に観た際には、伝統的な「行きて帰りし物語」のストーリー展開にのっとった作品だと感じた。今、折口信夫死者の書』やダンテ『神曲』と、同じ構造も持っていると、あらためて思う。

3作品に共通するのは、主人公が「死者への想い(恋慕)」から「旅(異界への)」をし、そこには「案内人」が登場することだ。

主人公真人(まひと)少年は、戦火で死んだ母を訪ねて、異界(黄泉の国、常世、生命が生成消滅する場)へ行く。そして数々の冒険をして、戻ってくる。

その異界では、『思い出のマーニー』のように、少女時代の母に会い、『ゲド戦記』のように、世界の均衡の要となる場所へと行き着く。彼はそこに留まり、均衡を保つ仕事を引き継いで欲しいと、老人に請われる。

古墳らしき丘から入った岩屋には、腐りかけた身体の母(≒身重の継母)が、横になっている。『古事記』でイザナギイザナミに会いに行って、その姿を見てしまったように。

案内人のアオサギは、中に人が入っているのだが、私は少名毘古那神(スクナビコナノカミ)がモチーフになっているのではないかと思った。

梅原猛古事記』には、以下のように記されている。

ーーー

さて、大国主神(おおくにぬしのかみ)が出雲の美保の岬にいらっしゃいますときに、波の上から蘿藦(ががいも)の船に乗り、鵞鳥(がちょう)の皮をまるっぽ剥いだ着物を着て、こちらへやって来る神があった。(梅原猛『学研M文庫』52頁)

ーーー

大国主神が名を尋ねても答えないし、家来の神たちに聞いてもわからない。すると、ひき蛙が、「きっと、久延彦(くえびこ=山田の案山子)が知っていることでしょう」と言うので、久延彦を呼んで尋ねると「この神は神産神(かむむすびのかみ)の御子の少名毘古那神(すくなびこのかみ)です」と答えた。

その後、この少名毘古那神は、大国主神と協力して、中国(なかつくに)を造り固める大仕事をして、それが終わると黄泉の国へスタスタと行ってしまう。

ーーー

私は結構この話が好きだ。誰も名を知らないのに、田んぼのカカシが知っているとか。国の地固めという大事業なのに、小さな神が小さなガガイモの船でふらりと来て、やるとか。

ガガイモの殻は船の形に似ている。参考(暮らしのほとり舎)↓

https://www.kurashi-no-hotorisya.jp/blog/4seasons-things/seasonal-flower/gagaimo.html

殻にふわっと綿毛がある様は、鳥が乗っているみたいにも見える。神が鵞鳥(がちょう)の着ぐるみを着ていると思うとなんともユーモラス。

ーーーー

このほか作品の中にベックリンの絵「死の島」が出てくると、封切り直後に話題にもなっていた。

ベックリン「死の島」

君たちはどう生きるか』は見る人の持つ背景によって、様々に解釈ができる。宮崎駿は、数限りなく児童書、本を読んできた人だから、あたり前ではあるけれど。80歳を超えた彼の死生観を共有できる、これまでの集大成と言える作品だと思う。

 

*主題歌 米津玄師「地球儀」

www.youtube.com

 

okanagon.hatenablog.com

ーーーー

追記

もう少し、『死者の書』と比較してみる。折口信夫(1987年生)は、1939年に始まった第二次世界大戦前に壮年期を迎え、宮崎駿(1941年生)は戦後に壮年期を迎えている。徴兵された世代の上と下で、どちらも戦争には行っていないが、戦争を体験している。

折口が『死者の書』で、死者に呼ばれ、行ったまま戻らなかった人物を主人公に描いたのは、大戦中の特攻隊に象徴される、散るを美とする思想もあったのではないか。それに対し、宮崎駿は、現実に戻り、泥臭く生きていく主人公を設定している。「生きろ」は宮崎駿の一貫したメッセージだ。どちらも時代の影響を色濃く受けているが、受け取り方は違う。けれども、死者(死の世界)を想う時に、日本の古代神話の世界に繋がっていくところは、同じだと感じられた。

ーーーー

追記2

映画の中で、古墳の丘、塔の周りやその内部で、ペリカンやインコの大群が出てくるが、『死者の書』に登場する、俤人=天若日子も、鳥と関係が深い。上の少名毘古那神の話の後にすぐ続く物語だ。梅原猛古事記』によると、

中国(なかつくに)に送った天若日子に謀反の心があるかどうかを確かめるため、鳴女(なきめ)という名の雉(かり)が、高天原(たかまがはら)から地上へ遣わされる。天若日子はその雉を矢で射て殺してしまう。矢は高天原にまで飛んでいき、その矢を高木神(たかぎのかみ)がとって「悪い心があれば死ね」と念じて射返すと、矢が当たって、天若日子は死ぬ。その死を嘆いた父や妻子は、地上に殯屋(もがりや)を建て、

河の雁(かり)を死者に食事をささげる役のものとし、鷺(さぎ)を殯屋の掃除をするものとし、翡翠(かわせみ)を食事をつくるものとし、雀(すずめ)を米をつく女とし、雉(きじ)を泣き女として、八日八晩の間、連日、にぎやかに遊んで、死者の霊を迎えようとした。(梅原猛古事記』学研M文庫 59頁)

色んな鳥が、死者の周りで世話役をしている。映画に登場する鳥(インコ)たちも、塔の老人の家来で世話をしている。映画中、弓矢も度々出てきて重要な役割を果たす。古事記はきっとイメージの源泉になっているのに違いない。

 

*『死者の書』は、折口が56歳の時、1943年9月に出版されている。同年9月には藤井春洋(折口の養子)が再召集を受けて金沢の連隊へ入隊している。この後、翌年6月まで加藤守雄同居。1944年6月、加藤が去ったので岡崎まで訪ねていく。藤井春洋は1944年7月に硫黄島に着任。1945年3月31日、大本営硫黄島全員玉砕発表。(参考:『口ぶえ』折口信夫作品集 宝島社 年譜<解説>持田叙子) 

 

吉野源三郎君たちはどう生きるか』は、昭和十二年(1937年)に『日本小国民文庫』の一冊として新潮社から発行されている。(映画中の本の見開きの昭和十二年の文字はその意味もあるかと思う)参考:丸山真男君たちはどう生きるかをめぐる回想ー吉野さんの霊にささげるー』(『君たちはどう生きるか岩波文庫 あとがき)