読後の余韻に浸っていましたが、ここまで読んできた『死者の書』と、去年読んだダンテ『神曲』とを、重ねて、つらつら思ったことを書いてみようと思います。
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折口の『死者の書』には、飛鳥時代の国家体制や習俗、それによる人々の物の考えがどんな風であったかを表すため、著者自身の民俗学、国文学、歴史の豊富な知識がふんだんに織り込まれている。(それが読みにくさでもあるけれど)
ダンテ『神曲』も、ダンテが生きた当時のイタリアのフィレンツェとその近郊の習俗、政治、歴史、学問教養についての知識がないと、とても理解できない。
読み進めるのに、日本イタリア会館の星野倫さんの解説が非常に参考になった。それによると、イタリアの高校教科書には『神曲』が収録されていて、イタリアの高校生たちは、『神曲』に絡めて歴史、哲学を3年かけて学ぶのだそうだ。
物語の主人公ダンテは、暗い森に迷っている。それを哀れに思ったベアトリーチェ(実際のダンテの初恋の相手、若くして亡くなった)が、彼を救おうと、詩人ヴェルギリウスを使わす。
ダンテはヴェルギリウスに導かれて、地獄、煉獄と旅をし、天国でヴェアトリーチェに再会する。そこからはベアトリーチェに導かれて天国の各階層を登っていく。
ベアトリーチェは、現実の人物(色身)だった。ダンテは死んだ彼女(想い人)を天国に置き神格化している。
『死者の書』で、このベアトリーチェに対応するのは、俤人(おもかげびと)で、阿弥陀仏、天若日子、滋賀津彦(色身から御霊)、が混然一体となっている。(追記参照)特に天若日子と滋賀津彦は、時を超えて存在する人間の類系(体制側から謀反の罪を着せられ殺される)でもある。
物語で旅をする主人公がそれぞれ、ダンテ(男性)、郎女(女性)と、男女逆転している。これは、折口が同性愛者であったことも関係するかもしれない。著者の心が投影されているのが郎女であり、俤人(若くして死ななければならなかった男)を哀れみ慕う気持ちを綴ったと考えるとしっくりする。(追記2参照)
案内人ヴェルギリウスは、郎女の父や当麻の語り部の老婆(尼)がそれにに当たるだろう。父は書物を与え、老婆は、郎女に昔話を語り、また夢に尼の姿をとって現れ、郎女を導いている。
『神曲』では、ベアトリーチェがダンテを救う、というベクトルの向きは一貫して揺るがない。
しかし『死者の書』では、阿弥陀仏としての俤人は、郎女を救う側にいるが、天若日子、滋賀津彦としては、救いが必要な存在で、そのベクトルは揺らいでいる。
郎女も、はじめは女でも救われるという法華経、阿弥陀経を習い、救われる側にいる。けれども物語の途中から、彼女は裸身の俤人を哀れみ、救おうとひたすらに行動していく。そこでは、阿弥陀仏と郎女の役割が曖昧になり一体化する。最終的に人々が壮麗な浄土を目の当たりにする曼荼羅を描き上げるのは、郎女だ。
マリア、阿弥陀仏が注ぐ慈愛、慈悲の眼差しは、母性的である。
ベアトリーチェはマリア(母)、郎女は阿弥陀仏(母)に近いとも言え、この点で両者は似通っている。
しかし『死者の書』では、救う、救われる、が登場人物の間で捩れの関係にあり、俤人、郎女がそれぞれ複数の要素が混合しているのが特徴的だ。この曖昧なところが、日本的とも言えそうだ。
『神曲』のラストは、愛に抱擁され大団円で終わる。
私の空想の力もこの高みには達しかねた。
だが愛ははや私の願いや私の意を、
等しく回る車のように、動かしていた。
太陽やもろもろの星を動かす愛であった。
一方の『死者の書』のラストで、去っていく郎女は、この身が二度と現実世界には戻らないことを知っているように描かれる。最後に世界へ向ける惜別の眼差し。これが、古い昔からの日本人の心情に、ぴったりくると折口は考えたのだと思う。
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追記
2008年に受けた内山節先生の授業「親鸞」の回で
日本の宗教は神仏習合で、これが分けられたのは明治以降のこと、それまでは自然信仰と仏教は混じり合い一体化して人々の間にあった。。
と聞いたのをすっかり忘れていました。それならば、小説で天若日子(神)と阿弥陀仏が混合するのも自然です。
人間は生まれた瞬間は清らかだけれど、生きているうちに穢れをどんどんまとう。死ぬと死者の霊は、山へもどっていき33年から50年(100年という所もあるらしい)かけて穢れが清められ自然(じねん)にかえり、神となると考えられる。そうした祖霊神が、その時その時によって、田の神、水の神、山の神となって権現する。
ことも聞いていました。小説は、滋賀津彦が死んで五十年後だから、ちょうど神になった時期だと言えます。だから3者(阿弥陀仏、天若日子、滋賀津彦)が郎女の中で混じり合うのはそのためだと納得しました。ブログに書いて残しておくのは大事ですね。
参考)
追記2
『口ぶえ』折口信夫作品集 宝島社 <解説>持田叙子
には、『死者の書』の原点となる『神の嫁』が収録されている。持田氏の解説に
(死者の書は)生きた乙女と死んだ怨霊の恋を鮮明な主題とする。殺された皇子の無念の魂を、聖なる巫女姫が癒して復活させようとする。書くうちに自分が姫となり、傷つきうめく未完成霊に寄り添っていたと折口が告白する、恋の名作である。194頁
とあり、やはり折口が自身を投影しているのは郎女である。御霊(神)だと思っていたが、未完成霊だった。