親鸞

秋。お勉強の季節です。内山節先生の授業。火曜日に受けた授業の内容を私なりにまとめてみようと思います。授業の目的は、以下。「現代の日本社会のシステムの基盤には、明治以降流入した近代思想と、日本古来の伝統的思想が底流しており、それが対立したり融合たりして今に至っている。それを考察する中で、現代社会システムの基盤をとらえよう」というもの。。

こう書いてみてさて、今私の生活のまわりで基盤となる思想なり何なりがあるかというと、はなはだあいまいで、「ない」と言うに近い。。だけれども、あいまいながら、生き続けているものがあることにも気づくのですが。感じるのは、そろそろ新しいシステムへ移らなければ、私たちはこのまま閉塞感の中で窒息しつつ死んで行くだろうということ。次の世代へ希望なり、夢なりをつないでいくために、何か違う息のできる構造へと移行していかなくてはいけないと感じるのですが。。日本人にとって幸せな構造とは何だろうか?そのヒントがこの授業で見つけられたらと思います。

まず、授業が親鸞からはじまったのは興味深かったです。以前読んだ「明恵 夢を生きる」にも、日本の中で独自の思想と呼べるものが誕生したのは、鎌倉時代だと述べられていたし、明恵親鸞へ痛烈な批判を行ったこともこの本で知りました。明恵は、時の六波羅探題北条泰時と接見し、深く泰時へ影響を与えたそうです。明恵の思想が「貞永式目」に反映されたことにもわかるように、明恵はその時代の執政の側に影響した僧でした。一方、親鸞は、深く民衆の中へ降りて行った。この親鸞の方に、日本の思想の主流があるとみるのが一般的なのでしょう。さて、授業の内容に移ると。。(テキストもないままで、聞いたままで誤りもあるでしょうが、どりあえず)

親鸞の思想には、日本の土着的自然信仰(山岳信仰、田の神など八百万の神)と仏教を融合させたものがうかがえます。親鸞が関東の弟子に書いた手紙にもその思想が現れている。まず自然(じねん:おのずからしかり)というものを考える。それは姿形のない、シャカの悟りの世界とも呼べるもの。その本質が、人が見える形になったものが釈迦である。これが仏教からくる思想。それを広げて、すべての生物無生物この世に見えるものすべてが、自然(じねん)の現れである、山も川も田も自然(じねん)が現象として現れたもの。こう解釈すると、日本の土着的自然信仰が融合してきます。。つまり、あらゆるものが神であるという権現思想と仏教とがスムーズにつながります。日本の宗教は神仏習合で、これが分けられたのは明治以降のこと、それまでは自然信仰と仏教は混じり合い一体化して人々の間にあった。。

親鸞は、天台宗の流れから出てきた僧でした。師の法然やその他道元日蓮などもそうです。その天台宗を開いた最澄が、書いた「天台本覚論」には、仏教の教えが日本的に変容しているのがすでに見て取れます。その具体的な例として

「一切衆生悉皆仏性」(すべての人々は仏性をもっている:中国から伝わった仏典の教え)
        ↓
「草木国土悉皆成仏」(すべて生きとし生けるもの、そして生きていないものも、すべて成仏できる:最澄の教え)

という変化があったそうです。それが更に、天台から飛び出した僧によって民衆の中へ伝わっていくうちに
「山川草木悉皆成仏」(文字の意味は最澄のものとかわらない)
となった。ほとんど表面的にはかわらないけれど、ここで本質的な内容の変化がある。この言葉を一般の人々は、どう受け取ったか。自然の世界は皆成仏している、しかし、人間は我欲のために草木のようには生きられず、成仏もままならずみじめな存在である。もともとの仏教では人間とその他の生き物は明確に区別されていたのに、最澄によってその境はなくなり、民衆に広まった時点では人間が自然界(しぜんかい)よりも低い存在になっている。これは人間はnatureよりも上位にあると考える西洋の思想とは正反対。西洋では自我(私がある)ということは肯定的にとらえられるのに対し、日本では自我は否定的にとらえられる。しかしそれを否定しているものもまた我である、という我から逃れられない、人間存在の「悲しさ」を見つめる姿勢が根本にある。。


親鸞の教えに、「自然は即ち報土(極楽)なり」という言葉があり、そこには自然に導かれて自然に還るという考えがうかがえる。極楽は彼方にあるのではなく、ここ、にあるということ。。これは、民俗学柳田国男の世界でもそれと通じるものが見受けられる。その著作「遠野物語」から、古い日本人の精神世界がどのようなものであったかがわかる。。村で構成される社会の風景は、山があり、そこから流れだした水をひいた田があり、家々があるというもの。その家で人は生まれ、生き、そして死ぬ。人間は生まれた瞬間は清らかだけれど、生きているうちに穢れをどんどんまとう。死ぬと死者の霊は、山へもどっていき33年から50年(100年という所もあるらしい)かけて穢れが清められ自然(じねん)にかえり、神となると考えられる。そうした祖霊神が、その時その時によって、田の神、水の神、山の神となって権現する。なので、生きている世界には絶対性がない。また、生まれたばかりの赤ん坊は、あちらの神の世界に近いので、新生児をすぐに殺すことは、もときたところへすぐ帰すという意味で抵抗がなかった。(今ではちょっと考えられないが。。けれども、生まれて乳を吸うようになったこどもを殺すというのには、抵抗があったようだ。。)

また、外から入ってきた神(天皇家)などの受け入れ方も面白く、その力を魔除けに用いる。悪い神の例としては、道祖神、疱瘡の神などがあげられる。