折口信夫『死者の書』(九)

八)で初めて登場する大伴家持は、万葉歌人の中で超がつく有名人。

 

家持によって、物語の時が意識され、舞台に着地点ができている。

 

彼が、「自分も横佩の右大臣のように、どこか僻地へ飛ばされるかもしれない」と、強迫観念に取り憑かれているのは、小説執筆当時の世相にも、また今にも通じそうだ。

 

近い飛鳥から、新渡来高麗馬って、馬上で通う風流士もあるにはあったが、多くはやはり、鷺栖の阪の北、香具山のから西へ、新しく地割りせられた京城坊々に屋敷を構え、家造りをした。(本文より)

 

この部分は、造成された職場近くのニュータウンに住むか、それとも住み慣れた所から通勤するか、当時のサラリーマンも頭を悩ませたのか、と思わせられる。

 

合理主義が世の中を覆い、古き良きものが見捨てられていくのを、家持は寂しい思いで眺めている。このような風流人の一人、時流に乗れなかった人として、郎女の父、横佩の右大臣も描かれる。(家持が、政治的に不遇であったことは歴史でも知られている)

 

時系列がはっきりせず、場面も飛ぶのが、この小説の読みにくい点の1つかもしれない。六)まで来てようやく、郎女が家を出るのは春分の日であるのがわかる。

そこから逆に、ここまでの各章がいつなのかを見てみると、

一)いつかは不明(1年前頃?)

二)、三)、四)春分から1日目の夜

五)春分から2日目の夜明け前

六)1年前の冬頃?〜春分

七)春分から1日目の朝

八)飛鳥時代の背景(物語のその頃)

九)春分から2日目の朝

 

続く九)にも家持は登場し、色好みの一面をのぞかせる。

 

九)色好みの心(大伴家持

 

春分の日から2日後の朝、馬で朱雀大路を下っていた家持は極めて早い時点で、

以下のニュースを従者から聞く。

 

それによると

神隠しにあっていた南家の郎女は、一昨日の夜のうちに当麻村に行っており、万蔵寺からの使いが昨日午後、郎女がいることを横佩家に知らせてきた」というのだ。

 

家持は、南家の郎女への興味を掻き立てられる。

 

「このところ、我が家の長女を、嫡子久須麻呂の嫁に欲しいと、しきりに言ってきている藤原仲麻呂(恵美家)は、もう五十を超えているが、横佩家の姫(かの郎女)に執心していると言う噂だ。その仲麻呂よりも、ひとまわりも若い自分(42、3歳)も、まだ、、」と家持は思う。しかしすぐに、「郎女は神さびた性だから、いずれ神の嫁になるつもりだろう、だから結婚話も断っているのだ」と思い返し、自分の諦めのよさに苦笑する。

 

家持は、京極まで馬を進め、新しい家の普請に行きあう。その家の周囲が石垣ではなく土筑垣で造成されているのを目にして、新しいやり方に馴染まない自分にまた憂鬱な気分になる。従者も同じ気持ちだった。

 

しかしすぐに、春の陽射しに誘われるようにして、過去に詠んだ歌が思い出され、若々しく自由で澄んだ心持ちが身のうちに蘇ってくる。気づくと家持は、三条まで馬を進めおり、そこに昔ながらの石城の家がまだ残っているのを、驚きを持って眺める。それは横佩の家だった。

 

「まだまだ自分も若い色好みの心が失せていないか...」と家持は思う。

 

「家がやけにひっそりしているのは、郎女の行方もわかり、乳母もそちらへ行ったので落ち着いたのでしょう、こういう時は、騒ぎに乗じ悪い魂や霊がくるので、静にしているのが得策です」と従者が言う。家持も「もうよい。戻ろう」と声をかけて道を引き返していく。