崖の上のポニョ

仕事の流儀というNHKの放送「宮崎駿の世界」の回を母の友人が録画したものを送ってきてくれた。宮崎駿は母より2つ年上だ。この7月、私は街の映画館のカップルデーに、息子と2人「崖の上のポニョ」を見に行った。極彩色の映像に、私は黒沢明監督の「夢」のようだなぁ。。老境に入ると、こういう境地になるのかなぁ。。などと思いつつ見た。息子は、面白かった?ときくと、宗介がライトでカチカチと沖に出ている船乗りの父親と交信する場面が面白かったと言う。見終わった後は、いつも宮崎アニメを見た後ような高揚感ではない何かが残っていた。それが何なのかはそのときには、よくわからなかった。

ポニョの製作過程を、宮崎駿に密着して取材したものをまとめた番組。はじめて、宮崎駿の生い立ちなどに触れられてもいて興味深かった。ポニョは、見た人それぞれがそれぞれの人生や年齢に応じて色んな受け取り方をしているようだ。私の友人は、これをご主人と見ながら泣いたという。ご主人は、「君が津波になってきたら、受けきれないから受け流すね。」と言ったそう。彼女は、ポニョに自分を重ねたようだが、私は宗介の母親リサに自分を無意識に重ねていたように思う。リサが、宗介とポニョを両腕にかかえて、一緒に家の中に入るシーンには、一つの典型にはまらない母親像があるようだった。ポニョとリサはいわゆる、嫁姑とか、古くさい人間関係、対立関係にあるのではなくて、リサは次の世代を育てる人、宗介もポニョも供に育てようとする人として描かれている。友人は、「私だったら自分の子のほうに多くしたりするけどなぁ。」と言っていた。私の友人は正直だ。母親が自分の子を大事にするというのは本能でもある。でも、私の中では自分の子かわいさで、周りの見えない母親より、一緒に育ち合う仲間を大切にすることが、結局は自分の子どもを大事にすることに気づいている母親のほうがいい。私の母は、次のような感想を送ってくれた。映画を見たときには気づかなかったけれど、この「宮崎駿の世界」を見た後では、この感想が面白く、宮崎駿がそう意図していなかったかもしれないけれど、本質をついているように思う。。

崖の上のポニョ宮崎駿の集大成、本人は最後の仕事にしたいと、思って作ったようですがあんまり張り切らず肩の力を抜いた作品になってそれが成功しているように思いました。園児と老人ホームのお年寄りとの関わりは現実の社会が取り組んでいるテーマでもありちゃっかりエキスを抽出しているところも宮崎らしい発想です。

港の町が水没して崖の上の家から脱出する辺りからあれは天国の景色を描いたのではないでしょうか。本当は悲しい展開になっているのですがみんなが揃ってあちらに行ってしまえば悲しい永訣もなくむしろ完全な形で再会して人々のつながりは続行するのです。

宮崎駿は自分の死生観を表現しようとしたのではないでしょうか。ちょっと考え過ぎ?で、なきゃ最後の作品をと4年間も構想を練った意味がないのでは
私は1000円の意味をそこにみつけました。