久石譲in武道館

NHKで放送された「久石譲in武道館」を、母の知り合いが録画して送ってくれた。久石譲が、宮崎駿と組んで作ったアニメーション9作品の曲を大規模なオーケストラと合唱の編成で演奏したコンサートの模様を伝えたもの。

私の中で久石譲との出会いは中学生の頃に見た「風の谷のナウシカ」。宮崎駿アニメとの出会いはもっと早くて2、3歳の頃「アルプスの少女ハイジ」だったけれど。。でもインパクト、その後の影響という点ではナウシカが最初という気がする。映画の冒頭で流れる曲は、テープがすりきれるほど耳で聴きながら音をさぐり、家にあったピアノで弾いたりするほど好きだった。どこかなつかしい、もの哀しい、幼い時に感じていた何かとつながっているるようなメロディ。大人の言葉で言えば、広々と悠久の時を経て続く人の営みを感じる旋律。心の奥底を振動させるものだった。

久石譲が、1983年夏に一月ほどスタジオにこもってナウシカの曲を作曲したときのエピソードを話していた。この曲は朝、今日何をかこうかなと思って30分くらいで家で思いついたメロディをメモして、スタジオへ行って一日で作曲したそう。その後も何度か演奏する機会があるので、書き直ししようと思ったのだけれどできない。無駄な音がない。このときのテンションはものすごいものだったんだな。。と思います。変に小賢しく手を加えると損ねちゃうのでなかなかできなかった。と。。

この録画を見ながら、まだ中学生の頃の自分の心の底から熱いものがわき上がって何か揺さぶられるように感じていたことを思い出しました。宮崎駿のアニメーションに本当に多くの人が魅了されるのも、きっとそういう普段は奥底にある自分の良いものが揺さぶられるからでしょう。実は、私は物理学科を志望していたけれど、スタジオジブリに入ってアニメを作りたいなぁと思ってもいました。先日、とりあげたRandy Paush氏も、ディズニーが好きで、アニメーションの仕事をしたいと思っていたのを思いだしました。彼はドクターを取った後、ディズニーに就職活動をしたけれど、丁重に断られたそうです。ゴミを拾う人にもなれなかった。しかしその後彼の専門のバーチャルリアリティを通じて、思いもかけないコラボレーションをすることになったのです。。彼は、最後の授業で、人は自分が行ったことではなく、行わなかったことを後悔すると言っていました。。

さて、この録画を見て、さぁ出かけよう!と思いました。心の奥底からわきあがってくること以外はやらないという決心とともに。でも、今の私はすべてのことはつながっているのが感じられます。行動ひとつひとつはどれも心の奥底とつながっているということを知っているのです。。何一つ無駄なことはない。。それを知りながらならば、いかようにも、出かけられます。