サマーヒル

 私は、先の本でイギリスのサマーヒルを知ったのだけれど、以前からこういうものに惹かれるのはどうしてかなと思った。そういえば父が子どもだった私に
「okanagonさんの自主性を尊重する。」
とよく言ってたなぁ。。これはきっと父から来たのだ。だけれど父がこのような考えを持ったのはどうしてだろう。それは父の生まれた時代にあるような気がする。小学一年生で戦争がはじまり、小学六年生で戦争が終わった。平均身長が最も低い、と言われる餓えた世代だ。戦争の終わった後のこと、先生の背中に、黒板消しを投げつけた生徒がいたが、先生は何も言わなかったそうだ。それまで、教育は軍事一色。それが一夜にして180度かわったのだ。。11、2歳の子どもにそれがどんなに深刻に影響しただろう。すぐに身を翻して生きている大人たちに怒り、裏切りを感じたかもしれない。徹底した権威への懐疑。。父の世代にどこか共通して感じる姿勢だ。それよりも9歳若い母の世代、終戦のとき2歳だった世代と違う。。国の体制によって否応なく柔らかい心に刻まれた体験が、子どもの自主性を尊重するという姿勢へとつながっていったのだろうか。

今自分をふりかえってみて、日本の学校時代を生き延びることができたのは、この父との対話があったからだろうと思う。。母は、いつも競争社会(世間)の側にいて、私に競争に勝って成功することを求めていたしなぁ。。でも母は母なりに、苦しむところがあって自身模索してもいたんでしょう。高校時代、私は心の不調を経験したのですが、そのときの母が本来の母を発見するきっかけだった。ただただ何も言わず祈り見守っている姿に、母も苦しんでいることを知り、それに救われた。しかし社会全体からきた影響は私の奥深くまで浸透していて今だに、その残像を自分の中に見つけることができます。でも、それは乗り越えていける影響。サマーヒルのような場所は、私にこそ必要かもしれないですね。

少々難しいことでも、自分の興味のあることは、こどもの私が理解できようができまいが、話す父でした。ソクラテスの弁明、芥川龍之介森鴎外五輪書小林秀雄ヒトラー我が闘争本居宣長、などつらつら思い出すにつけ、父の模索の跡を感じます。父は裏切られたものを、もう一度自分なりに理解し和解しようと悪戦苦闘したのかもしれません。若い頃には左よりであった父が、本居宣長に至るのはやはり感慨深い。

敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花

「この意味がわかるか?」とよく聞かれたなぁ。今もわからないが「大和心というのは、女性の心なんだ」と父の解説が続いたのを懐かしく思い出しています。