土を喰らう十二カ月

寝正月を決め込んでいる息子に

「ジュリーが出てる映画行こ」

と声をかけ、半ば騙すようにして『土を喰らう十二カ月』を観に行った。息子は中学の頃、youtubeで往年のジュリーを知って「ジュリーかっこええな〜!」と言っていた。

 

映画の原作者である水上勉さんの書いた童話『ブンナよ、木からおりてこい』は息子が小学1年生のとき一緒に読んだから(2008年3月このブログにも書いている)息子にとっても、この映画と全くご縁がないわけでもない。

 

街ビルに入っている小さな映画館の上映最終回に我々は滑り込んだ。観客の年齢層は高めで、女性がほとんど。おそらく、20代は息子一人だっただろう。フカフカの赤い座席に腰を沈めると、映画が始まった。つまらないと寝てるか?と時折横をチラと見るとちゃんと起きていた。

 

上映後、外へ出ると息子は

「ジュリー、あんなにかっこよかったのに…」

と呟いていた。

 

劇中、水上勉(ジュリー)は、山野や畑の旬を丁寧に料理し、好きな人たちを自然体でもてなしていた。スッと、心のこもった美味しいものを出されたらマチコ(松たか子)でなくても

「いい男ね〜」

とため息をつく。これは息子にはまだわかるまい。

 

勉が義母の葬儀を取り仕切り、通夜振舞いの料理を作る場面が気持ちよかった。

昔、四国の祖父や島根の義父の田舎の葬式を私も体験した。通夜振舞いの台所は、近所の女性たちがてんてこ舞いをする。そんなジェンダーギャップを軽々と飛び超えながらも、品よく一線を引いている様子は、禅寺で厳しい典座修行をした人という感じがよく出ていた。

 

やがて心筋梗塞に倒れ、心臓の3分の2が壊死する勉。死が襖一つ隔てた向こうにある状況になって、勉の行った選択もまた実にかっこよかった。自立した精神の理想形がそこにある気がした。

 

「それではみなさん、さようなら」

 

と言って床につき、翌朝普通に起きてくるのも、可愛らしくてよかった。

 

***

中村元訳『ブッダ最後の旅』二章の次の言葉が映画と重なって思い出された。

 

25

アーナンダよ。わたしはもう老朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いていくように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによって持っているのだ。

 

しかし、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、彼の身体は健全(快適)なのである。

 

26

アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にあるであろう。ー誰でも学ぼうと望む人々はー。

 

***

過去記事 2008年3月16日

okanagon.hatenablog.com

 

***