ブンナよ、木からおりてこい

水上勉著 「ブンナよ、木からおりてこい」

昨年この作品を、寝る前に息子に10日ほどかけて読みました。ブンナというとのさまがえるの男の子が主人公です。ブンナは木登りが得意でした。池の側に一本の大木があり、かえる仲間の誰もあがれない所まで登っていってブンナは得意になっていました。ある日とうとう大木のてっぺんまで上り詰めたブンナはそこが平になっていて、土さえあることを知ります。見える景色は遠くまで開け、そこは別天地のよう。一旦は降りてきますが、ブンナは今度はそこで一晩過ごしてみんなをびっくりさせてやろうと思いました。やがてその機会はやってきて、ブンナは挑み、今度も頂上にあがることに成功します。そして土へもぐって一晩を過ごす事にしました。。しかし、すぐにブンナが知ったのはそこがとんびのえさ置き場だったということでした。半殺しにしてとった獲物をしばらくそこへ放り込んでおくための場所だったのです。次々と入れ替わりに放り込まれてやってきたのは、皆深く傷を負った、ねずみ、百舌、すずめ、小鳥、蛇などでした。彼らは普段は食べたり食べられたりする関係にあり、狭い場所で互いに緊張しつつ、色々な話をします。土の中でブンナはそれらのやりとりをずっと耳をすまして聞いています。出て行けば自分がすぐ食べられてしまいますから。。もう死ぬとわかりながら生きるために醜く争う動物たち。生命の残酷さと美しさが胸に迫ります。ブンナは土の中で深く考えます。。ブンナは果たして木から降りてくる事ができるのか。。

水上勉の作品を読むのはこれがはじめてでした。読み進みながら、子供にこのような生の残酷さを伝えることに躊躇すら感じるほどでした。でも、息子は意外に楽しみにして聞いていました。彼がどんな風に受け止めたのかは定かではありません。本の序文に、次のような言葉が書かれています。

「凡庸に生きることが如何に大切であるかを、母親は先ず自分の心の中で抱きとって、子に話してほしい。そうであれば、ブンナが木の上で体験した世にもおそろしく、かなしく、美しい世界のすべてが、子供になんらかの考えをあたえ、この世を生きていくうえで、自分というものがどう確立されねばならぬかを、小さな魂に芽生えさせてくれる、と作者は信じる」

自分らしく生きることがスローガンのようになっている現代では、凡庸に生きることの大切さは、ほとんど忘れ去られているような観があります。でも、それは地下に潜ってしまっただけで、脈々と流れているものでもあると感じます。凡庸に生きるとは、自分に与えられた状況を誠実に生きるということでしょうか。。私は個性的に生きることを自覚した戦後の第2世代の女性の一人として、豊かになった日本でそれを実現することに躊躇なくつき進んでいたと言えます。けれどそこにはどこか無理があったのでしょう。私の場合には子供の誕生や父の死といった一撃でもろくも崩れ去ったのでした。けれど崩れ去ってみて気がつけば自分は最も低い場所にいました。それは大地とでも言いましょうか。登ろう登ろうと無理をすることから、地を足につけ踏みしめるように生活してみると、力が湧き生きる充足感がよみがえってきたのです。世の中には便利な情報やツールがあふれていますが、そこには物を売ろう、もうけようとする意図が見え隠れし、誠実なものはなかなかありません。「ブンナよ、木から降りてこい」という作品と出会い、その誠実なメッセージに激しく心を打たれた私でした。いつか、水上勉が残した一滴文庫を訪ねてみたいと思っています。