土を喰う日々ー5月の章ー

湯気の出るタケノコの大皿がトンと置かれる。

唾がジワッと湧いてくるシーンの一つだ。

勉はマチコに「はい」、と大きな輪切りをたっぷり小皿にとり分ける。

待ちきれないように、ハフハフかぶりつくマチコの喰いっぷりもいい。

感動した。日本ではまだまだ固定観念化している男女の役割関係が優しく反転し、まるで力みがなかった。

 

原作者・水上勉さんは、16歳から18歳まで、等持院東福寺管長だった尾関本孝老子の隠侍(いんじ)をされた。隠侍は老師さまの女房役のような仕事を受け持つ。箸で食べ物を取り分ける、何気ない仕草は、そんな背景を表現しているようだ。

 

私は一人の人間には、女性的要素と男性的要素が両方備わっていて、自分の中で2つを十分に生かしきれれば、幸せではないかと思っている。私の中の、人間の理想の姿のようなものを、勉の中に見た気がした。

 

*筍とわかめの炊き合わせ

 米のとぎ汁か、ぬか一つかみに赤唐辛子を少々入れた水に、穂先と根元を切り捨ててからよくゆでるのだが、串を通してみて、ゆでかげんを見るころに、ぷーんと鼻にせまるあの匂いは何ともいえない。土の中でうずくまっていた五月の竹の生気がゆで汁の中で煮えあふれ、土の産む生きものの精が泡立ってくる感じだ。 

 よくゆでたのを根の方から一センチぐらいの輪切りにして、昆布だしに、醤油、砂糖で煮つめる。しあがり前にわかめを加えるのだが、山椒の葉でも飾って、朱の腕に入れて出そうものなら、筍のクリーム色が朱に浮いて、わかめは新葉のような彩りを見せる。 p.88

 

*味覚がひらく記憶の暦

人間は、不思議な動物で、口に入れる筍の味覚のほかに、とんでもない暦のひき出しがあいて、その思い出を同時に噛みしめる。(中略)口に入れるものが土から出た以上、心ふかく、暦をつくって、地の絆が味覚にまぶれつくのである。これも、醍醐味の一つか。p.99

・生家の筍(若狭)

生家は地主持ちの孟宗藪にかこまれていたが、一本伐るだけでも地主に叱られるので、筍がむらがり出ても眺めるのみだった。地主は掘った中から1、2本を母に渡して帰っていく。

五人もいる子供らが、犬のように喰ってしまえば一食で終いになった。どこの戸をあけても、藪じゅうが筍だらけなのに、生つばを呑んで暮らした五月の、あの他人の薮の眺めは一生わすれていない。 p.91

相国寺衆院の孟宗薮、和尚と筍掘り(京都)

9歳から口減しのために、京都の寺へ出される。

「地めんに出とるようなのは堅いでな」

と和尚はいったものだ。つまり、頭が見えるか見えないかぐらいに出ているのが喰いごろだというのだった。(中略)筍の穂先がとがり、草でも生えたみたいにのぞいている。これを、ずいぶん遠くから、つまり、一尺ぐらいへだてたところへトンガを打ちこんで、力いっぱい柄を押すと、キュッキュッと音を立てて土に出たところは茶色いが、うもれていたところは白クリーム色で、肥(ふと)い図体をみせてあがってくる。根のところは、小豆でもならべたみたいに、ぶつぶつがつき、やわらかい毛根が八方へのびている。 p.91

・庭に植えた孟宗竹と妻との葛藤(東京・成城)

幼い頃に大きくなったら自分の筍を喰いたいと願ったように、玄関から門にいたる道わきに孟宗を植えた。はじめの数本が、百本あまりに増え、蚊やぶよの巣となった。これが妻の不興を買う。軽井沢に書斎を移したのを機に、妻は竹を二十本ほどまでに伐る。

結局、竹の嗜好で離婚するわけにもゆかないので、ぼくは、淋しくなった庭の竹をみてがまんしている。 p.98

 

*五月は畑しごとが多忙になる

やがてくる夏の茄子、胡瓜、花豆、トウモロコシ、唐辛子、夏大根のタネまきや移植。

・山鳩との豆争い

ユーモラスなシーンとして印象に残る場面。

軽井沢の山鳩は、豆のまく旬をよく心得ていて、どこかからにらんでいる。まいたあと書斎へ入ったスキに畑へおりてきて、いくらうめておいてもきれいに掘りおこして喰ってしまうのである。それで、ぼくは、まず、竹竿を持って、そこらじゅうの樹のてっぺんまで威嚇しておいてから、大急ぎでまくことにしているのだ。(中略)

山鳩と喧嘩しながら、豆を植えるのも、山のくらしが醍醐味で、収穫の日がきて心ふくらむのも、そういう暦があるからである。p.105-106