土を喰う日々ー6月の章ー

梅干しは、何と手間暇かけた食べ物なのだろう。

「梅干し」と聞いただけで唾が溜まるのは、私にも味覚の記憶が根付いているから。

水上勉著 エッセイ『土を喰らう日々』も梅雨に入る。

 

手作り梅には、手をつくすだけの自分の歴史が、そこにまぶれついている。p.126

 

相国寺瑞春院の梅庭ー松庵和尚の梅干つくり

和尚はいったものだ、梅は梅雨の雨を浴びたものでないといけない。p.110

<手順>

・収穫したものをよく洗い、ひと晩水につける。

・水きりしてフキンで1つ1つ拭き、着け瓶に塩をつまんで梅と交互に入れる。

 (塩は梅の量の20%程度)

・4、5日して水があがってきたものを、白梅酢という。瓶はそのままにする。

     (およそ3,4週間)

・七月初めに赤紫蘇が大きくなると、葉を摘んでよく洗い、塩でもむ。

・最初のアク汁は捨て、2回目からは梅酢を少しずつとり出してまぜてもむと、

 真っ赤な液体ができる。これが赤梅酢。

・土用の晴れた日、ザルに果だけをとり出し、1つ1つ重ならないように干す。

 (夜も出しておく)

・梅がしわばみ日に焼けると、もとの瓶に梅と葉を交互にいれ、赤い梅酢を加え、

 フタをしっかりする。

 (食べるのは半年後くらいから)

 

*夏の飲料ー赤梅酢に砂糖と氷水をまぜてー

 赤く透明な美しい飲み物は、映画では再会した松庵和尚の長女、良子さんにグラスに入って差し出される。エッセイでも長年消息のわからなくなっている良子さんと水上さんは会われている。 以下はその時のやりとり。

 

*五十三年生きた梅干し

「大正十三年の梅干です。母が父と一しょに漬けたものをもってきました。父は梅干しが好きで、よく庭のをとって漬けていましたが、これは、母が嫁にきた年に漬けたものだそうです。母は、もし勉さんに会う機会があったら、これを裾分けしてあげなさい、といって死にました」

といって涙ぐんだ。ぼくは、声を呑んでそれを頂戴した。さっそく、軽井沢へもち帰り、深夜に、その一粒をとりだして、口に入れた。舌にころげたその梅干は、最初の舌ざわりは塩の吹いた辛いものだったが、やがて、舌の上で、ぼく自身がにじみ出すつばによって、丸くふくらみ、あとは甘露のような甘さとなった。僕は、初めはにがく、辛くて、あとで甘くなるこんな古い梅干にめぐりあったことがうれしく、五十三年も生きていた梅干に、泣いた。p.118

 

***

佐藤初女さんのつくるおむすびは、真ん中に美味しそうな梅干しが入っている。

水上さんのレシピが、かなり塩を効かせる印象なのは、京都という湿度の高い風土のせいかもしれない。初女さんは青森だから、カビたりする心配は、京都よりなさそうだ。その土地の風土に合うように、レシピは変化するものなのだろう。

 

初女さんの手づくりの梅干しの作り方『おむすびの祈り』より

 梅干しづくりは、大変手間のかかるものですが、手を抜かず、一つ一つの作業に心をこめることで、おいしく長持ちする梅干しができます。

 私の場合は、まずはじめに、青梅を一昼夜真水にさらし、アク抜きをします。次に塩水にニ、三日浸け、色を出すために紫蘇の葉を入れます。青梅がしんなりしたところで、塩水からあげて、いよいよ干し始めます。

 干すといっても、ただザルなどにあげて無造作に干すのと、一つ一つ丁寧に並べて干すのとでは、仕上がりがまったく違ってきます。

 朝日が出る頃、塩水の樽から出し、こちらでは「おり板」と呼んでいる広い木の板の上に、重ならないように丁寧に並べます。どの梅にも満遍なく日光が当たるように、時々、上と下を返したりもします。太陽に光の向きは一日のうちでもかわりますので、陽射しに沿うように、干す場所も動かします。そうして夕日が沈む頃、また樽に戻します。雨の日などは干せないので、そういう日は樽の中に入れたまま、静かにお天気になるのを待ちます。

 これを、梅とお天気の状態を見ながら、一週間から十日間ぐらい繰り返します。梅に塩がなじんで、ふっくらとしたシワがよるのが、ちょうどよい状態です。

 干すのを終えたら、また樽に戻します。赤くきれいな色をつけるために、紫蘇を入れ替えます。だいたい漬けてから一カ月くらいすると、食べられるようになります。

p.211-213