春宵十話

このブログを書き始めるにあたって、最初に目標にした10話目にようやくたどりつきました。書くと、次に書く事が連想ゲームのように見えてきました。原動力は、身近に読んでくださる方がいるということでした。また息子にこの変わりもののかあちゃんが、どんなことを考えていたのかいつか大きくなって知ってほしいという思いがありました。でもこんなペースではたぶんこの後もたないでしょう。この辺から少しゆっくりといくことにします。

季節はもうじき桜の咲く春。。岡潔著「春宵十話」をここで取り上げようと思いました。随分前に読んでもう内容はほとんど忘れてしまいましたが、数学は情緒である、という言葉が印象に残っています。岡潔は仏教への造形も深く、数学の問題へ取り組んでいるときに見るビジョンが風景でも見るようで、ちょうど瞑想中の僧侶が見るのと共通していて、それから数学に対する見方が大きく変わったのを憶えています。父は岡潔が好きで実家にいくつかの本が今も残されています。父がよく口にした岡潔の言葉は「人を先にし己を後にせよ」でした。私が大学に受かったとき、岡潔さんが教えた大学だと父がことの他喜んでくれたのを思い出します。私は数学ではなく、物理学へ進みましたが、日本人が自然科学をする姿勢は、こんな風にあるのが理想かもしれないと心の片隅で思ってきました。後に大学院で、「雪の結晶」について論文を書くことになった私は、あるビジョンというものが問題に極度に集中したとき突然凡人にも降りてくる事があるのを体験しました。それを受けきれる力量が当時の私にはなく、それが凡人の所以と思いますが、継続していくことができませんでした。遠く今、回り道をしていますが、またいつか戻っていくことがあるかもしれません。岡潔は、雪の結晶の研究を行った中谷宇吉郎の兄、宇二郎ととても親しかったそうで、遠くめぐりめぐってご縁があったという気がしています。

追記:本棚にはあるけれど、あまりに分厚くて今のところ手がでませんが。。読んでみたい本。高瀬正仁著「評伝 岡潔 星の章」「評伝 岡潔 花の章」