エレジー

読み聞かせの持ち時間が、少し余ったりした時間に重宝するのが「詩」。草野心平の詩集を先日借りました。小学生の頃に、「つんつんつるんぶ」ではじまる詩などとても好きだったことを思い出しました。その詩集で今の私がじんときたのは。。「エレジー」。なんとも、夫婦というのは一緒にいても、遠いといいますか。果てしない程の距離を感じてしまうこともあるのですが、その交わりようもなく思える遥かかなたから、架け橋がかかったように感じられる時に深く感動をおぼえるのかもしれません。。

エレジー〜あるもりあおがえるのこと
                   草野心平

あいつはあの時。
(そうだ、もう六年も前のことになるのだが。)
あいつはあの時。
つぶやくように言ったっけ。
美しいわ
と。
たった一と言。
水楢の枝にしゃがみこんで。
はっぱのしげみに お尻をのっけて。
そしておれは。
あいつの三倍も小さくすすぼけた色をしてしびれていたが。
美しいわ?何言ってんだいとぼんやりおれは。
おっぱい色のもやのなかでわらったものだ。
眩暈するほどの現実のなかで。
こう惚のなかで。
  けれどもどうやらはなしはちがってきた。
  六年もたったせいかおれのかんがえもちがってきた。
美しいわ。
あいつが死んでからあの時のあいつの一言が。
音楽よりかなしく強く。
今はおれのからだのなかでさざなみになる。
美しいわ。
どうしてだろう。顔もこう惚も忘れたのにどうしてだろう。
その一言だけが思いだされる。
 原始の林と山あやめ。横倒しになった樅の古木が
 水に映るこんなしずかなすき透る沼から。よその
 土地の者等がやってきて。半分もの好きなアヴェ
 ックがあいつをバックにつめこんで里に降りバス
 に乗って帰ってゆき。そして裏の水溜りに放し
 たそうだ。そうだということはおれたちの世界では
 電波みたいに分かるのだ。それからあいつは鳴く
 ことをやめ。あんなに好きなソプラノを遂ぞ歌わず。
 そうして生ぬるい泥っぽい水の中でベロを出して
 陀仏ったそうだ。だれにだしたベロ?
 そのベロ。
 そんなこともおれたちの世界では電波みたいに分かる
 ことだ。
オリーブ色のあいつの背中。
もうあの背中から夢はもうもうとたちのぼらない。
あいつの背中にかわる背中を。
おれはずいぶん経験した。
けれどもあの時の。
美しいわ。
そんな言葉はあの時がたった一度の経験だった。
こう惚をはぎとるようなそんな余計なたわ言を。
あのさなかに。
どうして言ったか。
おれは片方の眼だけひらいて。
なにほざいてんだと言おうとしたが。
言わずに開いた眼もとじた。
その通りでそれは良かった。
それがおれには正しかった。
けれどもいまになっておれは切なく思うのだ。
黒い点々のいもりの腹にどれだけ毎年。
おれたちの子は飲み込まれるか。
また里に連れられてったあいつのように。
どれだけ毎年。
おとなも死ぬか。
美しいわ。
とあいつが言ったその時。
あいつのからだの中から千も二千ものあいつの子たちが。
おれたちの子が。
沸いていたのだ。
そうしておれとあいつの共同が。
水楢のはっぱに。
子たちを包んだ白いまぶしい泡のかたまりをつくっていたのだ。
こう惚よりもあいつはその時。
生むよろこびと。
そして生もうとする意思の愛(かな)しさを。
美しいわ。
といったにちがいないといまになっては思えるのだ。
沼につき出た太い
沼につき出た太い水楢の枝の上から。
ああ死んだくみーるよ。
おれはいま。
くみーるよ。
お前も知っている北側のあの三本目の。
方々にぶらさがっている電気飴を眺めている。
さっきにわか雨があって。
いまは晴れ。
あやめの紫は炎に見える。
そよ風だよ。
くみーるよ。
お前がすきだったそよ風だよ。
こんな風景なら鈍感なおれにも美しい。
お前はこんな時には。
天からもらったソプラノで。
あの古風なホームスイートホームをうたったものだ。
いまそよ風に。
われわれの百五十もの綿飴はかすかにゆれる。
美しいわ。
お前のことばを思い出す。
お前のことばはなんだか生きているような思いがする。
お前のことばはなんだかおれに勇気をくれる。
(ああ人の声。)
人間たちが登ってきた。
生ま木のステッキなどをふりながら・・・。
おれはしばらくぴったりここに。
動かずにいる。
じゃ。
さようなら。
くみーるよ。
さようなら。