折口信夫『死者の書』(十八)

ベンゼン環を発見したベンゼンのように、何か解けない問題を抱えて昼も夜も考えていると、夢が解決の糸口を示してくれることがある。この十八)も、そんな夢による解決が出てきます。

 

一)の御霊の

 

おお寒い。おれを、どうしろとるのだ。尊いおっかさま。おれが悪かったと言うのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまいます。

 

の嘆きに呼応するように、

 

この機を織りあげて、はようあの素肌のお身を、掩(おお)うてあげたい。

 

と思い詰める郎女。救いに向かっているのは郎女?

 

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10年ほど前に、"蓮から生まれた師への祈り"

 

という曲がラジオから流れてきて、思わず聴き入ったのが思い出されました。

尼僧のつながりで、ここに置いておきます。冒頭の尺八のような音、モンゴルの歌唱ホーミーの倍音を想起させる声に懐かしいような不思議な心持ちがします。Ani Choying Drolma は、ネパールの尼僧で、チベット仏教マントラが歌われています。

 

 

 

ーーーーー

 

十八)高機(尼)

当麻真人の家から出た大夫人のお生みになった宮の御代になり、勅使も来ることになって、当麻の村はにわかに活気づいていた。

 

一方廬の中は、奈良の館からとり寄せた高機を置いたため、手狭になっている。姫は、機織りの上手な若人に織り方を教わって、夜もすがら織っているが、蓮糸はすぐ切れたり、玉になったりする。

 

乳母は「こう糸が無駄になってしまっては。今のうちにどしどし績んでおかないと」と言う。

 

郎女は、切れては織り、織っては切れして、手がだるくなっても、梭を離そうとしない。「この機を織りあげて、はようあの素肌のお身を、掩(おお)うてあげたい。」

そのことばかりを考えている。

 

昼間村で聞いてきた噂話などに興奮したためか、女たちは、周りでぐっすりと眠っている。

 

ちょう ちょう はた はた。

はた はた ちょう...

 

糸が詰まった。引いても押しても通らない。筬の歯がこぼれている。郎女はため息をついた。

 

その時、「どれ、お見せなさい」という声がして、女尼がどこからともなく現れた。

それは当麻の語り部の老婆の声でもあった。「見てたもれ」と郎女は機を下り、尼が代わって織り出すと、機は元通りに動き始めた。「蓮の糸はこういう風では織れません。もっと寄ってご覧なさい。おわかりになりますか? これこのように」とやってみせると、姫はすぐに要領を呑み込んだ。「やってごらんなさい」姫が機に入ると、その音までもが澄んで響く。耳元で、当麻の老婆の声がする。

 

それー、早く織らねば、やがて、岩床の凍る寒い冬がまいりますがよー。

 

ふっと郎女はまどろみから目覚め、梭をとり直すと、

 

はた はた ゆら ゆら。 ゆら 

 

見事な布が織り上がっていくのだった。

 

折口信夫『死者の書』(十七)

瞬く間に、問題の「秋分の日」です。

 

十五)で御霊と阿弥陀仏はそれぞれ音と光に分けられるのかしら、と思っていたら、御霊も光?わけがわからなくなってきました。もう混沌です。合体しちゃったのかな。

 

「折口先生、乙女心を持ってる!」

 

とすごく思ったのが、大輪の花の蕊の中に、大理石のような肌をした美男が現れる十五)と、この十七)。官能的で美しい。

 

今流行りの言い方をすると、「推し」に一目会いたい一心でここまで待っていた郎女が、ついにすぐ目の前に現れた「尊い」姿に、初めてこちらを見られて、尊さのあまり目を伏せそうになるのだけれど、「いやここを逃しては!」と必死に目をそらさないところなんか、少女漫画にしたくなるようなシーンです。

 

「見る」という行為が、この物語の重要な鍵。滋賀津彦が、命を落とす前に、耳面刀自を「見る」。それまでは目を閉じていた俤びとが、ここではじめて、郎女を「見る」。決定的な分岐点がここだと言えそうです。

 

※弓鳴と反閇は、今も行われています。下に動画を置きましたのでご覧ください。反閇は、後でチョコチョコ踏んでいるのが妖精チックで可愛らしい。

 

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十七)秋分の日

 

暮れ時になって、大山嵐が吹きはじめた。板屋が吹き飛びそうなほどに煽られ軋む。若人たちはことごとく郎女の廬に上がって、刀自を中に心を一つにして顔を寄せた。庭先はまだ明るかったが、家の中が暗くなったその時、

 

郎女様がー。

 

と誰かの声がした。そこにいた全員、頭の毛が逆立つほどギョッとなった。恐怖のあまり誰も声が出ない。今の今まで、乳母は後から姫を抱えていたのだ。ああ、姫は嫗の両腕両膝の間には、居させられぬ。

 

突き上げてくる慟哭を抑えて、乳母は気持ちをとり戻し、凛とした声で

 

誰ぞ、弓をー。鳴弦じゃー。

 

※鳴弦(つるうち)... 弓の弦を強く弾き鳴らして魔を払うまじない

 

と叫ぶと、すぐさま壁の白木の檀弓(まゆみ)をとりあげ、

 

それ皆の衆ー。反閇(あしぶみ)ぞ。もっと声高にー。あっし、あっし...。

 

※反閇(へんばい)...邪気を除くために呪文を唱え大地をふみしめて歩くまじない。

 

と激を飛ばした。

 

あっし あっし あっし

 

皆で狭い廬の中を、まるで行者の群れの様に踏み歩く。そこへ、万法蔵院の婢女が、息を切らしてきた。郎女様と思われる人が、寺の門に立っているのを見たので、知らせに来た、と言う。嵐の中、婢女を先頭に、行道の群れは早足に練り出す。

 

あっし あっし あっし

 

万蔵法院は、鎮まりかえっていた。

 

姫は、部屋から見る空の狭さを悲しんでいるうち、いつの間にか門まで来ていた。その先は結界なので、門の閾(しきみ)から、伸び上がるようにして、山の際の空に見入っていた。

 

すると、二上山の中央の空に、白銀の炎があがり、山際の空が明るく、輝き出したかと思うと、肌 肩 脇 胸 が現れた。ただし、顔ばかりはほの暗かった。

 

今すこし著(しる)く、み姿顕したまえー。 

 

姫は、全身で叫ぶ。山腹の紫だった雲が、静に静に降りてきて、万法藏院は、隅々まで真昼のように明るくなった。庭の砂上すれすれまで、たなびいてきた雲の上に、半身を顕した尊者が、匂いやかな笑みを含んで、初めて目を開き、郎女を見た。軽くつぐんだ唇は、物を告げるようにほぐれている。郎女は尊さに目を伏せそうになるが、この時を過してはと思う一心で御姿から目をそらさない。高貴な人を讃えるものと、郎女が思い込んでいたあの詞が、心から迸り出た。

 

なも 阿弥陀ほとけ。

 

その瞬間に明かりは薄れ、雲も尊者もほのぼのと暗くなり、高く高く上って、二上山の山の端にすっと消えた。

 

あっし あっし 

 

足を踏み、前を駆(お)う声が近づいてきた。

 

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追記:

 

鳴弦(めいげん) の儀

 

 

 

 

反閇(はんべい) 

 

 

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折口信夫『死者の書』(十六)

この十六)は、若人のはつらつとした働きぶりが、楽しい章でした。

 

当時の女性の暮らしの、民俗学的な記述のように思えるものも織り込んであって、面白いです。(ただこれは、物語の肉付けなので、以下では割愛)

 

十一)で、蓮の茎からとる繊維のことを、郎女がつらつらと思い出していました。それが、蓮の季節を迎え、ここで再び登場してきます。

また、この十六)で二)の白装束の9人を派遣したのは、当麻の老婆であったことが判明します。

*のびやかでユーモラスなシーンもあるこの章に合いそうな曲。

B.マルティーヌ 弦楽四重奏第1番「フレンチ」

ベンネヴィッツ・カルテットによるドヴォルザークホールでの演奏

www.youtube.com

 

十六)蓮の糸(若人たち)

 

郎女の父豊成は、このところの新羅の暴状に、軍船を作り征伐の準備せよ、と太宰府から命を受け、都とのやりとりに多忙な日々を送っていた。そんな時に、郎女の話を子古から聞いた。これは一見なんでもない事のようで、実は重大な、家の大事である。豊成は、どうしてよいか途方に暮れてしまっていた。

 

知り合いの寺々に、当麻寺へよい様に命じてくれるよう、手紙を送ってもみた。一方、処置方を聞いてきた長老・刀耳たちへは、「郎女をひたすら護っておれ」という抽象的な返事をしていた。

 

供の者たちは、次の消息には、殿から何か具体的な仰つけがあるだろう、と待っていたが、日は飛ぶように過ぎていく。

 

そんな中で、屈託ばかりもしていない若人たちは、庭の池のほとりに降り立って、このところ急に伸びてきた蓮の茎を切っては、集め出した。それを見ていた寺の婢女(めやっこ)が、「まだ半月早い、寺の領内にある蓮田へ案内しよう」と言い出した。

 

もとから供の女たちは、ここでも、染め、裁縫、などをして姫のために精を出して働いていた。家の神に仕えるという誇りはあったが、家仕事自体は、そのあたりの農村の女たちと大差はない。

 

若人たち十数人は、張り切って蓮田へ出かけると、しばらくして泥だらけの姿で、手に手に大きく育った蓮の茎を抱えて戻り、廬(いおり)の前に並んだ。これには、いつもは、しかめつらしい乳母も笑いをこらえきれず、「郎女さま、ご覧ください」と堅帳を上げるのがやっとだった。

 

姫には、そんな皆の姿が羨ましく思えた。

 

この身も、その田居とやらにおり立ちたいー。

 

めっそうなこと、仰せられます。

 

その日から、若人たちは蓮の茎から取った繊維で糸よりを初め、数日後に六、七かせの糸を郎女に見せた。

 

乳母よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の巣より弱く見えるがよー。

 

この言葉に、これは確かに弱すぎると、乳母は若人を集め、「もっと強くきれない糸を作らないと役には立たない」と言った。しかし、よい案はない。すると

 

この身の考えることが、出来ることか試して見や。

 

夏ひきの麻生(おふ)の麻(あさ)を績む様に、そして、もっと日ざらしよく、細くこまやかにー。

 

まるで目に見えぬ人の教えをたどっているかの様に、郎女が言った。

 

その言葉通りに、若人たちは、茎を水に浸しては晒し、晒しては水に漬けして、よく乾かし、槌で叩き、細く細く裂いていった。その様子を、郎女が思い詰めたように、端近くまで寄って見たりするので、ついには刀自たちも手伝いはじめた。蓮糸のまるがせがどんどん高く積まれていった。

 

もう今日はみな月に入る日じゃのー。

 

※みな月=陰暦の6月。今の7月半ば〜8月半ばに当たる。

 

その郎女の言葉を聞いて、刀自はドキリとする。郎女は、再び秋分の日が近づいていることを、身に迫る様に感じていたのだ。婢女が「今が刈りどきだ」と言うので、若人たちは手も足も泥だらけにして、毎日蓮田に立ち暮らしていた。

 

追記)LOTUS SILKは本当にありました。ものすごく手間がかかる織物。

www.youtube.com

 

折口信夫『死者の書』(十五)

物語は、時の進み方が加速していきます。

あっという間に春分の日から1月経ち、躑躅(つつじ)の季節。

 

私が散歩するこの辺でも、昨日の暖かさにミツバツツジが咲き始めていました。やがて山道が躑躅の花のトンネルのようになるのも近い。

 

さて、夜あらわれるものが、御霊なのか、阿弥陀なのか、十五)でも判然としません。はっきりと分けられないところが、不思議な魅力になっています。

 

音ー御霊

光ー阿弥陀

 

という関係はありそうなのですが。

  

2024.4.2  山道にて

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十五)躑躅(早処女)

 

つた つた つた

 

音の近づく畏しい夜更けを、郎女はひたすら待つようになった。しかし、それは日ごと間遠になり、この頃は音がしなくなった。郎女は、絶望のままに一睡もせず、ほとんど祈るような心で待ち続けている。

 

あっと言うまに半月が過ぎた。

都に家族や恋人を残してきた男たちの多くは、乳母の配慮で帰された。女たちの中には、郎女が夜眠らず、ため息をついたり、うなされたりしているのに気づいて「魂ごいの山尋ねの咒術をしてみてはどうか」などと言う者もいる。けれど乳母は、先日の、当麻の語り部とかいう怪しげな老婆が、勝手に魂ごい(9人の白装束の山尋)を指示したので、こんな悪い結果になったと思い「姫の魂があくがれ出た処の近くにいれば、やがては元の身になられるだろうから、気長に気長に」と女たちを諭していた。

 

早一月が過ぎ、山に躑躅(つつじ)が燃えるように咲きはじめた。

ある日、里の娘たちが二十人ばかり、髪に躑躅を差し、山から降りてきた。彼女たちは、早処女で田の植え初め前に山籠りをしてきたのだ。若人が、娘のうち2、3人を中に呼び入れて語らい、変わった話はないかと尋ねた。

 

ー娘の話ー

 

ゆうべのことです。山ごもりしていると、山の上の崖をどうと踏み越えて降りて来る者がありました。音は、真下へ真下へ降っていきました。みなうなされていると、続いて岩のガラガラ崩れ落ちる響きがして、それはちょうどこの堂の真上のところに当たっていたんです。こんな処に道はないはずだから、おかしいなと、今朝起き抜けに見てみると、案の定、赤岩が大崩崖(おおなぎ)していました。でもゆうべの足跡はちっとも残っていなかったのです。

 

それで思い出したのですが、この頃、ちょくちょく子から丑の刻の間に、里から見えるこのあたりの峰の上に、光る物があったり、季節でもないのに山颪の凄い唸りが聞こえたりするのです。里の人たちは恐れて謹んでいます。

 

ーーー

 

夜が更け、娘たちが帰った庵では、昼間の話におびえ疲れた女たちが眠りこんでいる。

 

郎女が一人、目を覚まして外の気配に耳を澄ましていた。

 

ふと、頭上の灯火の光の暈が変化して明るくなり、大輪の花が出現した。その浄らかな蓮華の花の蕊(しべ)に、雲のように動くものがある。黄金の髪に閉じた目は憂いを持ち、郎女を見下ろしている。肩、胸、冷え冷えとした白い肌。

 

おお おいとおしい

 

自身の声に目を覚ます。夢を見ていたのだ。その夢の続きのように、郎女はつぶやく。

 

おいとおしい。お寒かろうにー。

 

折口信夫『死者の書』(十四)

西方浄土と言いますが、物語に出てくる地を、西から順に書き出してみると

 

天竺(インド)←漢土(中国)←太宰府←難波←二上山、当麻←奈良

 

矢印は、郎女の指向を表しています。

郎女はちょうど真西に沈む、春分の日秋分の日の太陽に、俤(おもかげ)びとを見ます。その姿は、御仏のようでした。当麻の老婆は、それは天若日子、滋賀津彦の御霊だと言いますが、、ここで

 

阿弥陀仏                         ...  天竺

・郎女の父からの書物   ...  漢土

・父                                    ...  難波、太宰府

・滋賀津彦(天若日子)  ...  二上山(当麻)

・郎女                                 ...  奈良から当麻へ

 

のように、場所と人(書物)を関連づけて、先の十三)を振り返ってみます。

 

夜更け、滋賀津彦の御霊が、万蔵院の郎女の几帳まで近づきます。

この逢瀬が成就すれば、おそらく郎女は死ぬのが予感されます。

 

郎女が深い眠りに落ち、白玉を抱いて水底へ沈んだ夢を見たことにも、それが現れている。(この世ならぬ夜の訪問者(死者)が死をもたらすのは、「耳無し芳一」や「牡丹灯籠」などもそうです)

 

悲しさとも、懐かしみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行った。

 

とあって、郎女は、御霊も阿弥陀仏も、区別していません。白装束の9人のように、御霊を畏れ逃げ去ったりはしない。思いの深さが感じられる場面でした。

 

灯火にあらわれた姿は、難波にいる父、父が与えた経文の阿弥陀仏が顕現して、郎女を護っているように見えます。

 

次の十四は、再び奈良の都です。家持が目上の仲麻呂に気を遣いながら、語らっています。昔も大変だったんだな。郎女、あれは只者ではないよ...という意見の二人。

 

ーーーー

十四)語らい(藤原仲麻呂大伴家持

 

大仏殿の広目天像に似ていると人々に噂された藤原仲麻呂(50歳過ぎ、郎女の父の弟)と、大伴家持(42、3歳)が語らっている。

 

漢土の書物の話から「女子(おみなご)は智慧づかせないのが男のためだ」と言う仲麻呂に、「女子が智慧を持ち始めたら、女部屋にはじっとしていないでしょうね、第一横佩墻内の…」と家持が返したことで、郎女の話題となる。

 

仲麻呂は「(郎女が)齋き姫もいや、人の妻と呼ばれるのもいやで、尼になる気を起こしたのではないかと、不安だよ」とこぼす。家持の家、仲麻呂の家はそれぞれ自家から斎宮(神に仕える高貴な女性)を出すことで政治力を保ってきた。それが他流の家から出るのは、大問題なのである。家持自身も同じ問題を抱えている。

 

酒が運ばれ、少し酔いの回った仲麻呂に、ふたたび家持が、「横佩墻内(よこはさかきつ)の郎女はどうなるでしょう。社か、寺か、それとも宮...。どちらへ向いても神さびた一生だ。そうであれば惜しい」と水を向けると「気にするな。気にするな。気にしたとて、どうできるものか。これは、....もう、人間の手へは、戻らぬかもしれんぞ」と、最後は独り言のようにつぶやく。

折口信夫『死者の書』(十三)

春分から2日目の夜更け、十三)はいよいよ

物語のクライマックスとなります。(本文は全て青空文庫より)

 

十三)夜更け

 

明るい灯火のともる庵には、帳台がしつらえられ、その周りで乳母や若人がすやすやと寝息を立てている。灯火が月のように円い光の暈つくり、幸福に充ちて郎女は一人、目を覚ましている。谷の響きが耳に聞こえてくる。

 

(ここは是非とも本文で味わいたい箇所です)

 

物の音。

 

――つた つたと来て、ふうとち止るけはい。

 

耳をすますと、元のかな夜に、

 

――る谷のとよみ。

 

つた つた つた。

 

又、ひたとむ。

 

この狭い廬の中を、何時まで歩く、跫音だろう。

 

つた。

 

郎女は刹那、思い出して帳台の中で、身を固くした。

次にわじわじきが出て来た。

 

天若御子――。

 

ようべ、当麻語部嫗の聞した物語り。

ああ其お方の、来てう夜なのか。

 

――青馬の 耳面刀自


刀自(とじ)もがも。女弟(おと)もがも。
その子の はらからの子の
処女子(おとめご)の 一人
一人だに わが配偶(つま)に来よ

 

まことに畏(おそろ)しいと言うことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、圧(おさ)えられるよう畏(こわ)さを知った。あああの歌が、胸に生きって来る。忘れたい歌の文句が、はっきりと意味を持って、姫の唱えぬ口のから、胸にとおって響く。乳房から(ほとばし)り出ようとするときめき。
帷帳がふわと、風を含んだ様に皺(しわ)だむ。

 

ついと、凍る様な冷気――。
 

郎女は目をった。だが

 

――瞬間の間から映った細い白い指、まるで骨のような

 

――帷帳をんだ片手の白く光る指。

 

なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。

 

郎女の口から我知らず詞が出た。さっと汗。

急に寛ぎを感じ、郎女は動転していた気持ちを取り直す。そしてもう一度

 

のうのう。あみだほとけ

 

口に出してみる。

 

目の前の几帳は元の通り垂れていた。しかしあの白い、白玉の並んだような骨の指が、そこにまだ絡んでいるような気がする。山の端に立ったあの俤(おもかげ)びとは、白々とした手を挙げて、私を招いていたように見えたが、今、近くで見た手は、海の渚の白玉のようにひからび、寂しかった。悲しいとも懐かしいともつかない思いに沈みながら、郎女はいつしか深い眠りへと落ちていく。

 

ー夢ー

坂巻く風に髪を乱し、渚の打ち寄せる海の中道を郎女は歩いている。足に踏んでいるのは砂ではなく、白々と照る玉。1つ、拾いあげると、玉はたちまち細かい粉になり、風に持っていかれた。悲しくなり、両手ですくう。すくっても、すくっても、両手の中から白玉は水のように流れ去る。俯いた背の上を、流れる浪が泡立ち越していく。

 

1つの大きな玉を取り上げた瞬間、大浪に打ち倒され、裸身となって等身の白玉を抱き抱える。玉と1つになり輝き、浪の上に漂う。

 

ずんずん沈む。水底に足がつく。足は根となり、身体はひともとの珊瑚の樹木になる。頭に生えて靡いているのは玉藻。深海のうねりのままに揺れる。

 

やがて水底に差し込む月の光を感じる。なぜかほっとする。海女のように、深海から浮かび上がり、深く息をついたと思うと、苦しい夢から覚めた。

ーーー

 

月の光と思ったのは、灯火だった。

 

のうのう、阿弥陀ほとけ…。

 

再び、口に出た。

 

そのとき、灯火の暈の光の輪が、輝きを増し、その光明の中に、白々とした美しい姿、あの山の端の俤びとがはっきりと現われた。浄く伏せたまみが、寝ている郎女を見下ろして居る。郎女は思わず起き直る。

 

灯火は、元のままにほのかに揺れていた。

 

折口信夫『死者の書』(十〜十ニ)

十)では、郎女がどんな風に育ったのかかが語られて、

十一)、十二)は春分から2日目の庵、となります。

 

十)の「人と鬼との間に交わされた誓い」という箇所で、

ふと漫画「イティハーサ」を連想しました。

昔好きで読んでいたなぁ。。

 

 

 

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十)石城(いしき)の家の乙女

 

乙女の寝所を男が訪れる「妻どい」の風習は、特にこの国では珍しくはない。

 

けれどかつては家々に石城のある村と、ない村とがあり、それぞれに慣習が違っていた。

 

石城のある村では、大昔、人と鬼(もの)との間に交わされた誓いによって、家のぐるりを囲む石垣より内へは、鬼神も人も入らない取り決めがなされたという。一方、石城のない村では、家に自由に人が出入りし、妻どいが行われた。その習慣が、石城の村へも浸透してきたのだ。

 

大伴家も、藤原家も、石城の家を構え、数十代にわたり宮廷に仕えてきた家筋だ。しかしこうした家でも、妻どいは徐々にあたりまえとなっている。男たちは歓迎しているが、女たちはいい顔をしていない。

 

南家の美しい郎女にも、一群の取り巻きがいた。けれど、この家の石垣が防波堤となり、また女部屋の姥たちが、寄ってくる男どもを剣もほろろに追い返し、手紙もひったくり、姫には決して渡さなかった。

 

「高貴な身分の方が才(ざえ;知識)を習う必要はありません。

 そういったことは身分の低いものがすることですよ」

 

と、姥たちは郎女を諭したものだった。しかし成長するにつれて、飛び抜けた知性と探究心を示すようになった郎女に、姥たちは舌を巻き、目を見はり、困り顔で、もう自分達の力が及ばなくなったのを悟った。ついには、いっそのこと、郎女の望むままに学ばせてもよいのではないか、と思いはじめていた。

 

そんな折、不思議な偶然があった。

 

まず姫の部屋から、「法華経」と「楽毅(がっき)論」が発見された。これは父横佩右大臣が、若い頃から肌身離さず持っていた書で、姫にとっては曾祖母、大叔母にあたる方々が手づから写したものだった。父は留守の間、娘の守りにと、誰にも言わずそれを置いて行ったのだ。郎女が一心にこれを習っていると、続いて、元興寺から「仏本伝来記」が届けられた。これは二十年前、姫の父が、祖父の7回忌に書き綴り、寺へ納めたもの。それから郎女は来る日も来る日も、それを手写した。

 

姫は父の書いた文字を写しながら、智慧がしみじみと心に入るのを覚え、曾祖母、大叔母、父、そして何よりも御仏に感謝した。

 

十一)鶯の物思い

 

春分から2日目 万蔵院の庵)

 

うららかな春の陽射し。

 

外の鶯の声を聴いているうちに郎女は、家で姥から聞いた昔話や、蓮の茎の繊維から作られる織物の話、そして小耳にはさんだ若人たちの会話を思い出す。

 

ー昔話ー

 

多くの男に言い寄られた出雲のある乙女が、その煩わしさに山林に逃げ、いつしか鶯になった。郎女は、その昔話の乙女に自分を重ね、せめて蝶飛虫にでもなって、あの山の頂へ、俤(おもかげ)をつき止めにいきたい、と願う。

 

ー若人の会話の回想ー

 

「鶯のあの声は、法華経法華経と鳴いているのですって。

 天竺のみ仏は、女は助からないと説き続けてきたのだけれど、

 その教えの果てに、女でも救う道が開かれて、

 それを説いたのが法華経だというのよ。

 法華経法華経と唱えるだけで、苦しみから助かるのよ」

 

「それじゃぁ天竺の女が、あの鳥になって、

 み経の名を唱えているというの?」

 

郎女はふと、写経千部の願を立てながら、果たせず死んでしまった可哀想な女子が、鶯になったのではないかと考えた。もし千部写経を果たせなかったら、自分も鳥か虫にでも生まれて、切なく鳴き続けるだろう。

 

そんな郎女の物思いは、当麻の老婆が蔀戸をつき上げる大きな音で破られる。

 

しばらくして、庵の外に寺の奴、僧、一般人の一群がガヤガヤとやってくる。

 

外で「まず、郎女様を」と家長老額田部子古のがなり声がしたかと思うと、表戸が引き剥がされた。すかさず郎女の乳母が、前にサッと立ちはだかる。姫の姿が庶民の目に触れぬよう守るためだ。旅用意の巻布を垂らして、即席の几帳が整えられたが、乳母は頑として前から動かない。

 

十二)姫の判断

 

怒り心頭の額田部子古は「郎女様をすぐにもここから返さぬなら、公に訴える」と息巻くが、寺方は寺方で「結界を破ったからには、長期の物忌をして贖いはしてもらわなければならぬ」と譲らない。

 

まだそこにいた当麻の老婆が

 

「それは寺方に理がある。お従いなされ」

 

と言って、乳母につまみ出される。乳母は、

 

「この上はもう郎女様のお心による外はありません。強いて帰れないこともありませんが、郎女様、ご思案くださいませ」

 

と判断の難しい問いかけをした。乳母も、子古も、聞いても無駄であろうと思っていた。ところが、姫は凛とした態度で即座に次のように答えた。それは、すべての者の不満を圧倒するものだった。

 

姫の咎は、姫が贖う。

此寺、此二上山の下に居て、身の償い、心の償いした、

と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。(本文より)

 

乳母も古子も、この育ての君の冴え冴えとした言葉に感じ入り、涙する。

 

子古は、難波に留まる郎女の父君が、今日明日にでも太宰府へお発ちになるかもしれないことを思い出し、こうしてはいられぬ、急ぎ難波へ行くと、寺方に馬を借りて出立する。

 

子古が行ってしまうと、再び静な春の夕。郎女は乳母に誘われ、家人が人払いをした外をそぞろ歩き、花の名を尋ねたりする。

 

「夕風が冷たくなって参りました。内へ遊ばされませ」

 

と乳母が言う。郎女は山並みを見渡す。二上の男岳の頂が、赤い日に染まり、山はのどかに夕雲の中に入っていこうとしていた。