魂を語ることを、おそるるなかれ

このところ、すべてがつながりながら私の周りで展開して、問題が接近してくる感じがします。今日は、映画「ガイア•シンフォニー 地球交響曲」の監督龍村仁さんの講演を聴きに行ってきました。すると、すぐ前に「問い」で書いたことへのはっきりとした返答とでも言える言葉が、監督の口で語られたので、私は深い驚きをもって受け止めたのでした。

そもそも、龍村監督の映画を知ったのは、息子が生まれる前、ある女性のホームページをたまたまネットで見つけ、共感して読んでいるうちにぶつかったのでした。その後、私の住んでいるところで、「1番〜5番」を一挙に上映するということを知って、仕事が終わって、保育園へまだ2、3歳だった息子を迎えに行って走るように会場へ向かい、息子と一緒に見たのでした。。そして、その後、友人と出かけた国技館で行われたダライ•ラマの講演の場にも、ゲストとして龍村監督がおられた。。その時は広い広い会場の中、かなりの距離があったのですが、今日の会場は400人くらいの私は前あたりにいたので、とても近く感じました。。

さて、「問い」に対する返答ですが。。
<監督の言葉>
人間は次の世界をイマジネーションする力をもち、それが現実になっていくことがある。人間のイマジネーションは絵空事ではないのです。それが動物と違うところ。。
(次の世界をよいものにしようというイマジネーションを、個々の人が自分の内で行うことで未来は変わるという信念のもと、地球交響曲という映画がつくられている。)

人間は生きるプロセスの中でいろいろなことを体感し、生かされていることに気づく。。それも、動物と違うところ。しかし、動物は動物で身体的知性というものをもち、これは人間がはるかにおよばないものを持っている。しかし、人間は人類独特の方法(認識)をもって自分の中にある野生の力に気づいていく道筋をもっている。。

現実には困難で過酷な状況にあっても、その中でオプテミィスティックな姿勢を保ちつづける人たちがいる。私が映画に登場させる人たちは、直感で選んでいますが、そういう方たちです。。インタビューしようと思う人たちは実にいい笑顔をしている。インタビューしていくうちに、話が魂の核心にふれるようになってくると、その方たちの表情がかわります。そうして、私とその方の間に深い信頼が生まれているのを感じます。ダイソン教授などは、(QED量子電磁気学で著名な業績がある)はじめは絶対に会ってくれないだろうと誰もが言ったけれど、実現しました。(okanagonは、フリーマン•ダイソンの「生命の起源」という本を持っています。読んでませんが。。)

生かされていることに気づくのが、人間だといいましたが、これは大昔から誰もが知っていてあたり前の話なんです。五感のすべてを使って自分が生かされていることを体感したとき、新しい感覚が開けてくる。。それは第六感とでもいいましょうか。。スピリチュアリティと言っていいかもしれません。(okanagon:確かに、映画に登場する人々は、国も言語も分野も異なるのだけれど、その第六感を共有してつながっているように感じられます。私は霊性という言葉が今氾濫していて安易に使うのは好きではないのですが。。)

たとえば、私が新宿の交差点で自転車に乗って信号待ちをしているときに、風がふいてくる。すると、感じるんですよね。あぁこれは沖縄の、デイゴの木がはきだした空気だと。これは、本当に、空気中に沖縄のデイゴの木のはきだした酸素分子のいくつかが、新宿の空気にも混ざっているということですが。。(okanagon:物理のカオスの本を読むと、拡散のイメージとしてスプーン一杯の水は7つの海へ広がるというたとえがでてきます。)そういう風に科学でいく道筋もあれば、感じるという道筋もある。いろんな道筋があるんです。。

講演の合間合間に、映画の予告編をダイジェスト版のようなものが流れました。
okanagonに残った言葉

「魂を語ることを、おそるるなかれ」

ガイア理論を提唱しているジェームス•ラブロック博士の言葉

「この地球に人類が生まれた理由は何か?それは地球が自分の美しさを見るために生まれてきたのではないでしょうか。」