ひかりの素足

宮沢賢治の中で、仏教的あの世を描いた作品といえば「ひかりの素足」を思い浮かべます。ひかりの素足とはお釈迦様の足のこと。18歳の頃に「漢和対照妙法蓮華経」を読んで衝撃を受けた賢治は、こんな圧倒的映像を見たのでしょうか。チベット仏教にも瞑想中様々な仏の姿や景色を観想する行がありますが、賢治の感応力を通してまるで地獄や仏の世界を見ているような印象を受けるお話です。

主人公は一郎少年と弟の楢夫。山の炭焼き小屋でお父さんと過ごし、ふもとへ帰る冬の朝から物語がはじまります。楢夫は、起きてから、こわいといって泣きます。風の又三郎が、お父さんが自分に新しい着物を着せ、お母さんが湯にいれて、皆で自分を送って行くと告げたという、死を暗示する夢を見たのです。お父さんと一郎は、ぞっとしますが笑って元気づけ、兄弟は馬をひいた男の人と出発しました。途中立ち話をはじめた男を待ちきれず、2人は先へ進み雪の中道を見失います。急に暗くなった空から降り出す雪。激しくなる雪の中で一郎は楢夫をしっかりと抱き、やがて意識を失っていきます。

気がつくと一郎は、うすあかりの国に居ます。この物語は、実際に読んでみるほうがずっといいでしょう。
宮沢賢治 ひかりの素足
このお話でも銀河鉄道のように最後2人はあちら側とこちら側に別れ一緒の道を行きません。この物語ではより明確に、楢夫は、前のお母さんのいるあちら側でしばらく学校へ入って学ぶことになり、一郎はまた今のお母さんの所へもどって「ほんとうの道」を探すことになるということが書かれています。これは銀河鉄道の初期バージョンとでも言えるものに近く、同じテーマに属する物語です。