西内ミナミさん

2008年1月22日の、西内ミナミさんの講演を手帳をもとに思い返してみています。。西内さんの絵本といえば「ぐるんぱのようちえん」ですよね。私も子供の頃読んで大好きでした。その絵本が生まれたのは。。ちょうど西内さんがご長男の出産を機に、それまで勤めていた白鳳堂を退職した頃のことでした。たまたま近所の小さな会社でコピーライターの仕事があったので、8ヶ月の身重な身体で面接を受けたら「明日からきてください」と。そこで後に「ぐるんぱ」の絵を描いた堀内誠一さんと出会うことになったのです。彼に「あなた、絵本描いてみない?」と言われて、「どこにもないお話をつくりたい!」と絵本の作り方も知らないままに、一晩で一気に書き上げたお話が、「ぐるんぱのようちえん」。書いたら話はとんとん進んで、1965年「こどものとも」5月号に載る事となり、翌年には、それが出版されることになりました。

ぐるんぱのようちえん

ぐるんぱのようちえん

なぜ「ぐるんぱのようちえん」を書いたのか、西内さんご自身はこのように語っておられました。

「当時私は白鳳堂という大会社に勤めていて、結婚もし、子供も授かった。家庭も、子育ても、仕事もやりたかったのです。でも勤め続けることは、当時の社会風潮として困難で、続けたいところを譲歩して近所へ転職したのでした。経験のなかったコピーライターの仕事は自分にあっているのだろうか。。26歳の私は道に迷っていました。物語の冒頭、よごれて泣いているぐるんぱは、当時の私自身の姿だったのです。でもぐるんぱのように、私も、周りの夫や夫の母、実家に働くことを「やってみたら?」と背中を押してもらいました。不器用だけれど、いろいろやっていくうちに天職を見つけるぐるんぱのようになれたら。。20代の当時の私の潜在意識が現れた絵本だったのです。物語の終盤、12人の子供のお母さんが出てきますが、私の父は、13人兄妹の11番目だったのですよね。。

結局、コピーライターの仕事は8年続けました。その間、次男も生まれ、地域家庭文庫の走りのようなことをやったり、家庭の合成洗剤の排水による多摩川の河川の汚れなどの問題にも目を向けるようになりました。当時は高度経済成長期で、メーカーの代弁者としてメーカーの決めたテーマでキャッチコピーを作る仕事に次第に疑問を感じるようになり、コピーライターの仕事をやめることにしました。

30代の私は、自分の自画像のような作品「いえでをしたおかあさん」「おとうさんになったおかあさん」などを書きました。書く事で気持ちがすっきりしたのをおぼえています。文庫の活動や、添加物のない食品や川にやさしい洗剤の取りよせなど、毎日忙しく走り回っていました。そんな中で、夫の母が癌に倒れたのです。息子の小さい時には、働く私にかわって孫の面倒をみてくれ支えてくれた母でしたので、私は仕事をやめ、2年間介護に専念しました。しかし、それをやりすぎてしまったのでしょう、母を看取って1、2年鬱病になりました。暗い穴の中にいるようでした。

おとうさんになったおかあさん (1980年) (国土社の創作えほん)

おとうさんになったおかあさん (1980年) (国土社の創作えほん)

けれど、40代になった時、目の前がぱーっと明るく開けるように感じました。子供も成長し、過ぎ去った子育て(それまではしつけができてなくて、カッカすることもありましたが。)を客観的に余裕をもって見られるようになってきたのです。そうすると、またお話が私の中から出てきました。

ゆうちゃんとめんどくさいサイ (こどものとも絵本)

ゆうちゃんとめんどくさいサイ (こどものとも絵本)

現代は、絵本隆盛の時代です。けれど、今の子供は習い事や塾などで、時間をこまぎれに生きていて、そのこまぎれな時間を埋めるようにゲームやテレビが提供されています。絵本から本へといってほしいのにそれがなかなか進まないのはそんな子供たちの生活環境があるのかもしれません。私たち絵本の作り手は、表紙から最後までいろいろな工夫をしています。子供達は本当に細かいところまで気がつきますから。それをよくご覧になってください。絵本は文章と絵の呼吸がとても大切です。おかしくもないのに笑っている顔が描いてあったりするのは私はよくないと思っています。3、4歳の子供だって生きていていつも笑っているわけではなくて、落ち込む事があるのですから。」

西内さんのお話も、女性が一生で直面する様々なことを考えさせられるものでした。そういえば「ぐるんぱのようちえん」息子が小さい一時、読むと私が泣けてしまっていたのは、きっと西内さんと同じ迷いや悩みを自分も抱えていたからなんだと思い当たりました。若いお母さん達が、今も「ぐるんぱ」を手に取る理由はそこにあるのかもしれません。。それから40代になったら、ぱーっと目の前が開けるというお話、私にもそんな時期がくるかしらとあわく期待したのを憶えています。。

西内さんが、ご次男との思い出で作られた絵本が

おやまごはん (できるよできる)

おやまごはん (できるよできる)

ご長男との思い出で作られた絵本が
しっこっこ (できるよできる)

しっこっこ (できるよできる)

だそう。。お話の最後、握手していただきましたが、とても暖かな手でした。