親愛なるマリー・キュリー

マリー・キュリー―科学の流れを変えた女性 (ビジュアル版伝記シリーズ)

マリー・キュリー―科学の流れを変えた女性 (ビジュアル版伝記シリーズ)

図書館の紹介コーナーにあった子供向けの本。先日思わず、手に取ってしまいました。映画を見て(この本から、映画が1934年に作られたものだとわかりました)興奮した少女でもあった私。少女漫画の主人公にあこがれるように、あこがれたものでした。そして、大きくなるにつれ、物理を知れば知るほど、マリー・キュリーはどんどん遠ざかって燦然と輝く到達できない峰のような存在となっていったのですが。。何十年かぶりで、彼女の人生や写真に触れて、出会い直した気持ちになりました。たぶん、少女だった私には、暗い影は見えず、ピエールとの出会いや輝かしい発見のほうしか目がいかなかったのでしょう。

最初のページには、フラスコを持って静かに見つめている実験室での写真。次には、新婚旅行へ今まさに自転車に乗って出かけようとするマリーとピエール。内気そうな二人の顔にほんのりと浮かぶ喜び。。これらは私のすでにもっていたイメージ。でも今は若い頃の表情にとりわけ惹かれます。7歳の時に姉を、11歳のときに母を亡くしたマリーの若い頃の写真に微笑みが見られません。当時は写真で笑わないのかもしれませんが。。その静かな、しかし内にとても強い意志を秘めた彼女の30代は、嵐のようです。自分が通り過ぎていると、手に取るようにわかるようになるのは、年をとることのよい点ですね。30歳で長女を出産し、育児を義父に助けてもらいながら研究を続け31歳でウラン鉱からポロニウムラジウムと発見していきます。そして36歳で博士号をとり、ノーベル賞を夫婦で受賞します。37歳で次女を出産、39歳で夫ピエールを事故で亡くします。どうして人生は彼女から大切な人を奪っていくのでしょうか。。この打撃に心霊主義に関心を持ったりもします。。が、その中でもラジウムの単離に成功、44歳で2度目のノーベル賞を受賞します。この頃、同僚との恋愛がスキャンダルになり終わると、ノイローゼになってしまう彼女。しかし、エアトンという科学者でもある女性の世話で少しずつ回復し、第一次大戦がはじまると、トラックにX線装置を積んで負傷兵のために戦地の病院を駆け回ります。50代になった戦後はラジウム研究所の所長を勤めつつ世界各地の大学から数々の栄誉を受けます。一方では、体は長年放射線を浴び続けたことにより、ひどいダメージを受けていました。貧血症を患い、65歳まで仕事を続けたけれど、ついに66歳、療養先で生涯を閉じるのです。

マリーの生涯関連ページ
http://www.aip.org/history/curie/