授業を受ける意味

風姿花伝をとりあげた、第3回目の内山節先生の授業。予習は前の2回で書きました。私は本当に卑近なところで理解していましたが、授業を受けると一人で読んで勉強していたのでは、もしかしたらずっとたどりつけないかもしれない広い視点を知ることができる。そういう機会に恵まれたのは幸せです。広い視点をまた、卑近なところへ持っていきながらですが。。学ぶことは楽しいです。とにかく、夜授業を聴きに集まってくる人たちが様々な年齢で、まるで夜間学校の雰囲気があるのも、暖かくてよいです。

<授業>
風姿花伝は、世界最古の演劇書である。歴史的には、古く民衆の間で豊作の祝い事などの舞台で行われてきた申楽が、室町時代に足利将軍の庇護を受けた観阿弥世阿弥によって能として大成される。勿論、申楽はそのまま農民の村祭りの中に存続し、やがて御神楽となって現代へ引き継がれて行く。申楽から江戸時代に派生したものに、狂言(これは能の幕間、人が出入りしたりざわざわしている時に演ずるものであった)や歌舞伎があり、それは現代になだらかにつながる。

ここで大切なのは、申楽、能、御神楽は神事(宗教的行事)であるということ。一方、狂言と歌舞伎には神事性がない。これは江戸時代に、演劇が商業的見せ物として大きく変化したためである。それは近代芸術へなだらかにつながっていくものである。明治に劇的な変化があったと思いがちであるが、それは政治体制に目をむけるからで、文化的な近代の芽はその前から起こり、それらは現代とつながっている。(それは人の精神の変化ということかもしれないと思った:okanagon)

さて、能は神事である。その場は、舞台と観客で構成される。その目指す所は、観客と舞台とが神の世界(=自然(じねん)の世界)と一体となっていくことである。その為に演者は何をしなければいけないかというのを書いたものが、「風姿花伝」である。

歌舞伎の有名な演目に、「勧進帳」がある。これは、義経と弁慶が落ちのびて、安宅(あたか)の関に着いたときの出来事を演じたもの。関所のとがしにあやしまれ、とめられた義経一行、弁慶が機転をきかせて、我々は東大寺(当時焼失していた)の再建立の為の勧進に諸国をめぐっているのであると言う。役人はそれならば勧進帳を持っているであろうとつめよる。そこで、弁慶は何も書いていない巻物を持ち、とうとうと勧進帳として読み上げる。そして、主君の義経を、その場では自分の家来といつわっているので、お前の態度が悪いのであやしまれたではないかと心では泣きながら打ち据える。そこで、関所の役人はこれが義経だと悟るのであるが、弁慶の心に打たれ何も気づかぬふりをして通すという筋。
余談であるが、安宅の関は現在、海岸浸食によって海中に沈んでいる。

実は、この「勧進帳」には、もととなる能の台本があり、それは「安宅」と呼ばれる演目である。勧進帳では、とがしが弁慶の心に打たれて通すという人情話になっているが、能では違う。とがしは、この一行が義経、弁慶だと悟るが、ふと、何が現実で何が幻か区別がつかないのではないかという気分になる。その心持ちになったとき、とがしは現実にこの一行を裁くのをやめる、という行動をとる、という筋なのだ。現と幻(=自然、神仏の世界、死後の世界)の境界線があってなきに等しいところでは、こちらから見たあちら側が幻なのか、あちら側から見たこちらが幻なのか、それがわからなくなってしまう。(okanagon:胡蝶の夢を思いだしました)

さて、ヨーロッパの研究者の間ではとても人気のある『風姿花伝」。彼らがよく引用する世阿弥の言葉に「離見の見」というのがある。これは、能役者が持つべき視線。それは、普通に考えられる役者の立つ舞台から観客へと向かう視線ではない。それとは逆に、観客から、自分を観ているという視線を確立せよというもの。これには異論もあり、「離見の見」は舞台上空から全体を見わたす視線であるとか、客席の最も後ろから全体をとおしてみる視線であるとかも言われる。この視線によって本質的なものが見えてくるという。

西洋哲学では1600年代に、私(主体)があって他者を認識するという考えが確立された。これはデカルトに代表される。従って主体はゆるがないと、考えられて来た。しかし、20世紀中盤になって、現代哲学が問題としはじめたのは、認識の相互性である。ある人Aが別の人Bを認識するということは、BもまたAを認識するという逆向きのベクトルがある影響を無視できない。従って互いのベクトルの交差点で認識というのものが成立しているのではないか。認識は1人の主体性のしわざではないのではないか。。ということが議論されるようになった。けれども、こうした相互性のある認識を、私が見たと錯覚するのがまた人間である。この視点から精神の現象学フッサール、メルロ•ポンティ)などができている。こういう研究者からすると、室町時代にすでに、認識の相互性について述べている世阿弥の言葉はすごい、ということになる。また、人類学者のレヴィ•ストロースも、晩年のインタビュー集『遠近の思想」で、遠い眼差しという言葉を使っている。この意味を問われて、「これは世阿弥の離見の見です」と答えている。