風姿花伝第三

第三は問答條々下で、問いとそれに対する答という形で書かれています。これは弟子からでた質問に答える形で書いたのでしょうか?ここに書かれてあることは、「読み聞かせ」にも参考になることが多かったです。。

読み聞かせでは、まず教室に入ったときに、そこにある雰囲気というのを感じます。子どもたちが静まっているか、どうも落ち着きがないか。。外が晴れて窓から光がさしているか、曇り空か、雨が降っているかなど。。問答形式で、世阿弥の言葉を抜き書きしてみると。。

<問>落ち着きのない教室に入ったらどうしたらいいでしょう?

<答>見物衆の座敷いまだ定まらず、あるひは、遅れ走せなどにて、人の立居しどろにして、万人の心、未だ能にあらず。さやうならん時の脇の能には、物になりて出づるとも、日来より、色々と振りをも繕ひ、声も強々と使ひ、足踏みも少し高く踏み、立ち振る舞ふ風情をも、人の目に立つやうに、生き生きとすべし。これ、座敷を鎮めんためなり。

<問>外の天気によって、読み方や絵本の選び方にどのような工夫があるでしょうか?

<答>一切は陰•陽の和する所の堺を、成就(能が成功する)とは知るべし。昼の気は陽気なり。されば、いかにも鎮めて能をせんと思ふ企みは、陰の気なり。陽気の時分に陰の気を生ずる事、陰•陽和する心なり。これ、能とよく出で来る成就の始めなり。これ、面白しと見る心なり。夜はまた陰なれば、いかにも浮き浮きと、やがてよき能をして、人の花めくは陽なり。これ、夜の陰に、陽気を和する成就なり。

なるほど〜。
<問>他の人の読み聞かせを見てよい所、わるい所に気がついたら?

<答>いかなるをかしきシテなりとも、よき所ありと見ば、上手もこれを学ぶべし。これ、第一の手立なり。もし、よき所を見たりとも、我より下手をば似すまじきと思ふ、情織(自分勝手な慢心から生ずる争い心)あらば、その心に繋縛せられて、我がわろき所をも、いかさま知るまじきなり。これ、即ち、極めぬ心なるべし。また、下手も、上手のわろき所もしみえば、上手だにも、わろき所あり、いはんや、初心の我なれば、さこそわろき所は多かるらめと思ひて、これを恐れて、人にも尋ね、工夫を致さば、いよいよ稽古になりて、能は早くあがるべし。上手は下手の手本、下手は上手の手本なりと工夫すべし。