寒山拾得

先日書店で柳田邦男の「気づきの力」(新潮社)を見かけて買って読んだからか、「死の医学への序章」を読んだ頃のことがよみがえってくる。「気づきの力」の中に、息子の心の病と向き合うために内観を受けた話がでてきたけれど、ここの場所へ私が書いている行為も「内観」のようなものかもしれないと思う。

思い出したのは、父の死の前日のことだった。手の打ち用のない末期癌で、一旦家に帰っていたがいよいよ苦しくなり病院へ戻って2日目だったか。父はせん妄状態になっていた。「中国の衣装を着た人が沢山いる」とか、外を近くの保育園の子どもたちが散歩しているのを見て「あれはだれの葬式だ?」と尋ねたりした。。そんな父に静かな心境になってもらいたくて森鴎外の書いた「寒山拾得」のコピーを病院へ持っていって読んだ。。そんな事、すっかり今朝まで忘れていたのだけれど。それは役に立たなかった。あんなに苦しい状態で聞かされたって父の側に立ってみればわかることじゃないか。。なんて馬鹿なことを自分はしたんだろう。。自分本位に押し付けて。もっとより良い他の方法があったのではないか。。そう苦く感じていた。

寒山拾得」は父の好きな物語だった。子どもの頃、父に話してもらった記憶がある。子ども心にも不思議に面白かった。森鴎外も、物語ったあと、やはりこの話を自分のこどもたちに話したエピソードを書いていた(寒山拾得縁起)。確か、こどもたちに「どうして、(寺の飯炊きの)拾得が普賢で(乞食の)寒山文殊なの?」と問われた。どう説明してもうまく伝わらず最後に、「まだ誰もおがみにこないが、実は、パパァも菩薩なのだよ。」と言った。

病院では、最後まで読めなかったと記憶している。でも、若い頃父は睡眠学習のセットを買って寒山拾得をテープレコーダーにふきこみ、まるごと憶えたと聞いた。だからその縁起の下りまで父は一言一句空で言えたんだったとはた、と思い出した。

「実は、パパァも菩薩なのだよ。。」

父の声が聞こえてきそうだ。

追記:本当は、「パパァも文殊なのだよ。」が正しい。。鴎外なら、文殊がふさわしいが父には菩薩のほうがぴったりくる。。だから間違って思い出したのだろう。これも私には意味のあることと思ってそのままにした。