二十一世紀に生きる君たちへ

 来週は息子の小学校の入学式です。先日、仕事で関西へ行った夫が、司馬遼太郎記念館へ立ち寄り、息子に小さな本を買ってきました。

二十一世紀に生きる君たちへ 司馬遼太郎

冒頭には直筆原稿が載せられており、三菱のDERMATOGRAPHの色鉛筆で色とりどりに書き直されているのが目にも鮮やかです。「二十一世紀に生きる君たちへ」 と 「洪庵のたいまつ」 この2つの文章を、息子が自分で読めるようになるのはいつしょう。その日がくるのが楽しみです。

私にとって歴史は、動かすことのできない過去、死んだものというイメージ、それと学校での苦悶のような年号暗記。。しかし、両親を愛するようにして、歴史を愛しているという司馬が

歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」と、答えることにしている。私には、幸いこの世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

と書いている箇所で、私がやみくもに読書するのも本質的にこれと同じだと気づかされました。歴史は死んだものなどではなく、今を生きる私たちの中で再生されていくものなのですね。。歴史の中で司馬遼太郎が選んだ人、緒方洪庵。私は歴史にうとく、この人物がどんなことをしたのか知りませんでした。江戸時代に蘭方医学を学び、大阪で医者をするかたわら、身分の別なく若い人に自分の知識を与えるために適塾を開いた人物。後にそこからは福沢諭吉など明治を担う人々が出ました。若者たちがひしめきあうように机のわきで寝起きし、目が覚めれば本を読むという活気にあふれた生活。53才で洪庵は江戸幕府に呼ばれ、もともと体も弱く江戸での慣れない生活の中すぐに亡くなったとか。

かれの偉大さは、自分の火を弟子たちの一人一人に移し続けたことである。弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。やがてはその火の群れが、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後世のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。

と結ばれています。息子も、これから沢山の人から明るい火をもらいながら成長していき、そしてまた人に火を移してゆける人になってほしい。。そう思います。