へたも絵のうち

へたも絵のうち 熊谷守一

熊谷守一をはじめて見たのは、いつだったでしょう。NHKテレビの日曜美術館ではなかったかしら。アイヌのおじいさんのような長い髭の風貌で、頭に鴉をのせた写真が、まず強烈なインパクトでした。たしかその辺の鴉がなついてしまったということだったかな。作品では、雨だれが落ちて水たまりに水の輪をつくっている絵がとても面白く、それよりも面白かったのは、その絵は、家の雨どいが壊れていてザーザーと雨水があふれて落ちるのをそのままにしてずっと見て描いたということでした。

つい3日ほど前、私の好みを知っている職場の方から「この本読んでみない?」と貸していただいたのが「へたも絵のうち 熊谷守一」でした。一も二もなく飛びついて一気に読了。これは熊谷守一が91歳のときに自分の話をした新聞連載を本の形にまとめたものです。読みながら、私はどうしてこういつも力んで生きているんだろうなぁと思わずにいられませんでした。守一が、

ふつうのひとは、いろいろ考えたり無理をしたり、だましたりだまされたりしているから、くたびれて、そう長生きはできないのでしょう。私が丈夫なのも、何もしなかったからかもしれません。

と言うのには、まったくそのとおりだなぁ。。と思うのでしたし、

気に入らぬことがいっぱいあっても、それに逆らったり戦ったりはせずに、退き退きして生きてきたのです。ほんとうに消極的で、亡国民だと思ってもらえればまず間違いありません。私はだから、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません。

というところには、まいった。。と思いました。最近私のテーマになっているのは、心のどかにということです。。逆らったり戦ったりというのは、外へ向かっているようでいて、どこかで自分自身に対して攻撃をしていると感じるのです。どこか自分を損なっているとでもいいましょうか。石一つあればよい、というところまではまだまだいけませんが、お日さんの光を感じたり、雨にあたったり、風に木が揺れたり、そういうことで満ち足りた喜び感じる人間でいたいなと思います。