クローズアップ現代

先日、クローズアップ現代に、小林さん、益川さんが生出演した際は、我が家はテレビがつかないので、見られなかったのですが、また、母の友人がDVDに落としてくれました。おそらく、素粒子や宇宙物理学を志したことのある非常に沢山の人が一度は会った事や見かけたことが有り、講義などがあれば聞きに出かけたことはある、そんな方々。勿論南部さんも、日本で本当に沢山ゼミや講義をしていて、それを受けた学生は非常に多いと思います。私は素粒子を専門に学んだわけではなく、あこがれでミーハー的に講義を聞きに行ったくちですが、これまで内容は全く理解していなかったので番組を見て、いくつかの疑問を我が家の専門家に聞いてみました。。最近お勉強モードなので、自分のために書き留めることに。。詳しく正確には、(BLUE BACKS クォーク 素粒子物理の最前線 南部洋一郎著)などを読んでくださるほうがよいので、そちらへ。。

この番組では、CP対称性の破れを次のように、説明していました。137億年前にビッグバンが起こったとき、粒子と反粒子が生まれた。粒子と反粒子は互いに電気的に反対の性質を持ち、ぶつかれば光となって消滅する。もし、粒子と反粒子が同数(対称)であれば、すべての粒子がやがてはペアと対消滅して消え、宇宙はもとの無にもどるわけだけれど、現在の我々の宇宙は無数の粒子で成り立っている。これは、ビックバンの際、粒子のほうがわずかに多く生成されたということで、実際には粒子反粒子の対称性がやぶれていたと考えるのが正しそうだ。これをCP対称性の破れという。。その破れを理論的に説明するためには、それまでに考えられていたアップクォークダウンクォーク、ストレンジクォークの他に、3つの素粒子(トップ、ボトム、チャーム)を考えるとそれがうまく説明できると証明したのが、小林、益川理論というわけだ。。

さて、じゃあ何で3つじゃなくて6つなくてはいけなかったの?と尋ねてみると、
くりこみ可能なラグランジアンを考えた時、粒子が残る(対称性が破れる)という性質をもたせるには、複素数のフェーズが必要。。ラグランジアンはユニタリー変換しても不変で、粒子が3つの場合には、ユニタリー変換していくと、複素数の項をつけてもそれは消えてしまう。しかし、複素数のフェーズは粒子が6つあると仮定すれば消えないことを数学的に証明した。。

これではあんまりです。。
ちょっと待って、くりこみ可能なラグランジアンてなに?
くりこみ可能かそうでないかというのは議論があって、くりこみ可能な理論では相互作用の数が有限にとどまり、くりこみ可能でない理論では相互作用が無限個あるという違いがある。ワインバーグとサラムは、1968年にくりこみ可能な理論を提唱したが、(1970年にトフフトが彼らの理論がくりこみ可能であることを証明)それははじめあまり信じられていなかった。しかし、1970年頃同時多発的に、陽子や中性子クォークから成るというクォーク理論が生まれた。クォークの間にどのような力(相互作用)が働くのかということは、ラグランジアンによって記述される。ワインバーグとサラムの理論では、4つのクォークを仮定してラグランジアンが構成されているが、それでは、先の複素フェーズは消えてしまう。ワインバーグサラム理論の粒子を6つにしなければいけない、というのを小林益川が提唱した。。

CとPとは?
C:荷電共役変換と、P:パリティ変換のこと。それぞれの変換に対してラグランジアンが不変ならば、これはその変換に対して対称と言い、それぞれの変換に対してラグランジアンがもとにもどらなければ対称性がその変換に際して破れているという。荷電共役変換は、力(=粒子)を記述する場の複素共役をとることを意味し、これは反粒子に対応する。先の、粒子が対称性を破るための条件に複素フェーズが必要というのは、これと関係する。もし場が実で記述されるなら、その複素共役も実であり、荷電共役変換に対して対称になる。電磁場などがそれにあたる。。クォークの場合には対称性を破るような理論は複素フェーズを持たなくてはならない。粒子が3つや4つであれば、どう理論を構成しても、うまくユニタリー変換すればそのフェーズがなくなる形に変換されてしまう。しかし、6つクォークがあれば、どうユニタリー変換しようとCとPの変換に対して対称性を破るラグランジアンが構成できるというもの。

以下、わからないことは延々と続くのだけれど、わかることは、理論の整合性を追求していくという姿勢がそこにあるということ。。自然法則は、何らかの整合性を満たしているはずであるという信念がそこにあるように感じられる。これでいくと実験的に見えるかどうかより先に、理論の整合性を考えて行くとことようなことが起こっているはずである、ということを予言することになる。。そこに、理論物理学の醍醐味があるのか。。とあらためて感じる。