普遍的なものへ

龍村仁さんの講演などを聴くと、何だか西洋とか東洋とかの違いはあんまりなくて、もっと深いところでの人類の普遍性があって、私が拘泥していることなど、些細な事のように思えてきます。でも、拘泥している自分もまた、必要なのだという思いもあります。最終的に普遍的なものへたどりつくにしても、やはりその道筋は様々あるわけで、その道筋にはやはり無意識にもってきた古い精神世界がかかわっていて、それと対話しながら自分なりに進まなくては、単に楽観で終わってしまう。。そう、楽観しきれればそれくらい幸せなことはないですが、因果なことに私はそこで悲観的になってしまう。。オプティミスティックになりきれないのは、やはり生かされている実感をつかみきれていないためなのでしょう。

講演の最後、ある4歳のお子さんを持つ女性が、龍村さんに「子どもたちへメッセージを送るとしたら。」と質問していました。これに対して、「私たち大人がちゃんと生きること。」それにつきるというような内容の返答で、あぁほんとにまったくそのとおり!と思ったのでした。。