イシ

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)

昨年の冬、カリフォルニアのゴリータを家族で訪問した時、宿舎の近くのマクドナルドへ息子と出かけました。でっぷりと太った中年の女性と、青白い顔をした青年の親子の客が私の目をひきました。一目でネイティブアメリカンの子孫だということがわかったからです。3週間の滞在中にヨセミテ国立公園まで足を伸ばしましたが、美しく荘厳なその谷にやはりネイティブアメリカンの暮らした住居跡の展示がありました。。もし行く前にこの本に出会っていたら随分と見方が変わっていたに違いありません。

1960年出版のこの本の1991年の日本での再版に寄せて、作者シオドーラ•クローバーと、その夫であるサンフランシスコ人類学博物館の文化人類学者アルフレッド•クローバーの娘にあたる人が序文を書いていました。最後の署名にアシューラ•K•ルグィンと読んだ時の私の衝撃を告白します。私は「ゲド戦記」が好きで、ルグィンの経歴にも一応は目は通したはずだったのに。いつもながらの自分の視野狭窄を恥じる気持ちと、でも出会えて本当によかったという気持ちとが入り交じりました。ゲド戦記に出て来る、太古の言葉を話す竜の描き方に、イシをはじめとした文化人類学の言語研究の影響があると思えば、物語の醸す不思議な厚みと重さが納得できます。またイシが最後まで自分の本当の名を明かさなかったこと(カリフォルニアインディアンが自分の名前を告げることはまずないものらしい。「イシ」とは「人」を意味するヤナ語でクローバーがつけた名。。)にも、「真の名」が創作ではなく実際のモチーフがあったことがうかがえます。古い古い、人類共通の根っことでも言えるものへの眼差し。。ルグィンの魅力の秘密を1つそっと教えてもらえたような読書体験となりました。。

本の前半は、北米の西海岸から山間にかけての古い歴史が展開され、そこに広く暮らしていたインディアンが、砂金を求めて東から続々と侵入してきた白人(サルドゥ)によってどのように絶滅もしくは文化的に完全に消滅させられていったかを当時の膨大な資料を元に明らかにしています。西欧人と、狩猟採集の人々との力の差は歴然で、公平に記述されるよう配慮されていますが、誰が見ても目を覆いたくなるような惨さです。。読み進みながら、苦労して西欧化してきた私たち日本人の姿や、また、日本の中のアイヌの人々、沖縄の人々、さらには今微妙な中国や韓国との関係と重ねずにはいられませんでした。イシは最後まで抵抗を続けたヤヒ族の一人で、数が10人を切るようになってからは山奥に潜伏しつつ何年も生活しました。その間に、白人は彼らが何千年にもわたって自然と調和して暮らした山河にどんどん牧場をつくり、畑をつくり、街をつくり、やがて最初にやってきたならず者たちの他に良識を持った人も住むようになりました。

本の後半は、そのイシが部族の最後の一人となり、死を覚悟して白人の前に憔悴しきった姿で現れ保護された後の話です。彼はアルフレッド•クローバーが館長を勤めるカリフォルニア文化人類学博物館で暮らし始め、西洋式の暮らし方を驚くほど柔軟にそして上品に受け入れました。やがて心を開く白人の友もでき、ヤヒ族の暮らしや言語、精神世界を人々に垣間見させてくれるようになります。しかし彼は西洋人のもたらした病気、結核に罹ってあっけなく亡くなってしまうのです。。

イシの整理整頓の仕方など、シオドーラ自身、日本人に通じるものがあると書いていますが、読んでいて彼の好みやもの作りへのこだわりなどに日本人に共感できるものが随所あると思えました。イシは、中国人を見て同じヤヒだと嬉しそうに言ったそうですが、日本人にも同じ感想を持ったに違いありません。特に本の冒頭の発見された当時のイシの写真を見て、私は父の顔にも似ていると思ったほどでしたし。。

一つの文化の継承が死にたえ、二度と取り戻せなくなるのはどういうことか、その最後の一人になるということがどんなに過酷な経験なのかが、イシの明るく安定した人柄(だからこそ生き延びたのだと思われる)が描かれることで逆により痛切に伝わってくる本でした。

イシ―二つの世界に生きたインディアンの物語

イシ―二つの世界に生きたインディアンの物語

こちらは少年少女向けにイシの一生を、イシが語らなかった空白を埋めるように、シオドーラがヤヒ族の世界観や暮らしから推察して生き生きと描き出した物語です。