5月の本棚

考えない練習

考えない練習

小池龍之介さん、以前ラジオビタミンに出ておられ面白いお話だったので、衝動買い。現代人が思考病にかかっている、思考(および溢れる情報)のノイズによって目の前にあるリアルを実感できないようになっている。。というお話。。私の中にも、その病がはっきり感じられます。考えるのをやめ五感に集中してみると、自分が充足してくる。ちょっとした瞬間に、自分が妄念にとらわれていないか、確認してみる習慣をつけてみたいです。仏教で瞑想するのはこういう意味があったのですね〜。考えるのをやめ、ただありのままを見、向かえば、目の前の空も、人も、とても素晴らしく面白い。。

1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3

GW売り上げのトップだったと今ラジオから。私もGW前に買って読んでしまいました。

読みたい本です。鎌田實さんのブログに紹介されていました。先日、上の小池さんの本を買った時、一緒に買いました。通勤の電車の中で読みはじめています。耳をすませて相手を「聴く」。私はできているか?できていないなぁ。。

臨床とことば (朝日文庫)

臨床とことば (朝日文庫)

<眠る前に読む一冊>
小学生の頃、赤んぼ大将シリーズが大好きでした。近所の図書館には当時私が読んだものは見当たらず、1997年に出された続編だけがありました。。これを読んだのははじめて。時間の裂け目を何とかするため、25歳になったタッチュンを、目覚まし時計が再び探し出してあかんぼに戻すのです。その時、タッチュンはぴょんとたっていいました。「なんだ、よく見たらぼくのめざまし時計じゃないの。おひげなんかはやしているから、わかんなかった」。。「そうだよ」と、めざまし時計はうなずきましたが、思わずなみだがこぼれそうになりました。という所で、すでにめざまし時計に感情移入している私。時の流れですね〜。。子供の頃は大人の目には助けの必要な不自由なあかんぼが、実は大人も話せない動物コトバや機械コトバを自在に話して動けるのが痛快だったのに。

赤んぼ大将さようなら (ジョイ・ストリート)

赤んぼ大将さようなら (ジョイ・ストリート)

色が黒くてみっともない変な子、正子さんが主人公。私も「たどん(炭)」と呼ばれるほど日に焼けて真っ黒で、みっともない変な子といえば変な子だったから、とても親しみをおぼえました。大人にもコロボックルは見えると勇気づけられそうなコロボックルシリーズ5番目のお話。ノートンの「床下の小人たち」もいいですが、もし日本で小人のファンタジーが展開するとしたら。。佐藤さとるさんのかもしだす物語風土は私の中に潤いのあるなつかしい情景を呼び起こします。こんな中で私は育ったなぁ。。と。とはいえ、昭和58年当時、図書館事務員の正子さんがすでに、「こんなぎすぎすした時代に、コロボックルでもいてくれたら、さぞほっとするだろうなあ」、と思っているのだから、平成22年は「ぎすぎす」もここに極まれりといったところでしょう。実を言うと私にもコロボックル見えてきそうな気がしています。そういや、1Q84にも小人がでてきましたね。。こちらは空気さなぎを紡ぐ、ちょっと怖い得体の知れない小人ですが。

さて、上記の2冊、何気なく並べた後で気づいた共通点。それは、どちらもシリーズの最初の刊行からだいたい25年という節目で書かれた完結編であるということ。小さな国のつづきの話のあとがきに、こんな佐藤さとるさんの言葉がありました。

「わたしは児童文学のサイクル、ということをよく考える。少年少女時代に、ある作品と出会った読者が、やがて人の親となり、自分の子供に同じ作品をえらぶことができるようになるまでが一サイクルで、およそ四半世紀、二十五年くらいはかかるにちがいない、というものだ。」

佐藤さとるさんの作品の軌跡でいくと、昭和33年にはじまったコロボックルシリーズは、ちょうど25年後の、昭和58年にその完結をみる。そして昭和43年にはじまった赤んぼ大将シリーズが、30年後の平成9年に完結。。ちょうど私は昭和50年代後半に小学生だったから、佐藤さとるさんの2サイクル目の読者ということになるんだな。。移り変わりの激しい世の中で、世代間で受け継いで行く、そんな視点で書かれている本だったのか〜。面白いですね。もう一度はじめから息子と手にとってみたい。