アンの愛情

赤毛のアン誕生から100年、先日普段行かない図書館に立ち寄ったとき、なつかしい装丁の本に再会しました。たまに別の図書館へ行くのもいいものですね。それは、紫と白の美しいハードカバーです。私の中で、赤毛のアンはまさにその本だといっていいくらい。紫は、アンの心奪われた紫水晶を思い出すし、白はアンにふさわしい。。母が小学校3年くらいのときに買ってくれたその10巻、私が家を出てしまった後どなたかにあげてしまったらしく、今実家にはありません。。大切なものを人にあげるのはいいことだからかまわないのですが、それは絶版でもう手に入らないのです。だからあまりの懐かしさに、借りてきてしまいました。1、2巻は借り手があったらしく見あたらなかったので、3巻「アンの愛情」を。。

仕事が終わってしまうまで読んではいけない、と思いつつ誘惑に負けて半分ほど読むと、昔読んだときとは違った印象を受けました。そうですよね〜。。もう、この3巻の18歳のアンの年齢の倍になっちゃってるんですから。。マリラやリンド夫人、ハリソンさんなど、上の年代の登場人物の気持ちのほうへ親近感を持てるようになってしまっている自分を発見しました。若いアンの良さを、年寄りの立場から理解するような感覚。とほほ。。その一方、現在息子をがみがみ叱りとばしている自分が、昔毛嫌いしたアンに登場してくる面白みのないおばさんにそっくり!とも思ったのでした。あぁ!

それから面白かったのは、友人ステラが、アンへの手紙で教師の仕事の大変さを、おもしろ可笑しく書き送っているところでした。いくらか自嘲気味に、

「らくな仕事で高い給料をとってるって、だれかしらに言われないですむ一週間があったらそれこそもう、昇天祭の衣装を注文して、この世を「すぐさまおさらば」するときが来たと思った方がいいくらいのものよ。」

と言っているところ、思わず笑ってしまいました。「あの不良とうちの子の席をはなしてくれ」とか、「りこうなうちの子の算数が友達より進みのおそいのは納得てきない」とか、親が教師へ申し入れてくるのは今もありますよね。100年前も、今も、おんなじ。。ただ、今はユーモアの入り込む余地がなくなってしまっているかもしれませんが。。

この3巻は、2巻でマシューが亡くなったり、グリーンゲイブルズで新しく双子も暮らすようになっていた後の話。アンがレドモンド大学へいってしまうと、夫をなくしたリンド夫人もグリーンゲイブルズで一緒に暮らす様になります。人が老いていきながら、家族構成も変化していく。。どういう老い方が幸せなのかな、と日々思う私に一つのヒントを与えてくれるような気がします。この後の巻、アンが結婚して子育てをしていくあたり、小学校で読んだときにはとても退屈だったけれど、今読むときっと違う輝きを放つことでしょう。。しばらく、アン週間は続きそうです。